Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

アニメ映画『伏 鉄砲娘の捕物帳』、見ようで見え方が変わるさま、万華鏡の如し



 『伏 鉄砲娘の捕物帳』は、キャラクターの視点で見方が変わる作品。浜路で見れば恋物語。信乃で見れば孤独と狩られる運命との戦い。浜路と冥土のお祖父ちゃんを重ねれば、ジジコン娘の家族話。道節で見れば、お江戸浪人物語。色彩豊かなワンダーランド「江戸」でコマゴマ動く彼らはまるで箱庭の中にいるよう。
 さて、伏という存在。滝沢馬琴が伏の運命を哀れんで、その創作力で伏を江戸の町に潜り込ませた。『南総里見八犬伝』は伏を江戸の民に認知させる方策。しかし伏の敵である里見義実の権化・村雨丸は、江戸と徳川家の安泰を望む家定に伏狩り令を出させる。伏が入り込んだ時から江戸は「物語」となったのか。伏が消えた時、江戸は「現実」に戻るのか。
 桜庭一樹の原作『伏 贋作・南総里見八犬伝』の入れ子構造は、滝沢馬琴の口述する『南総里見八犬伝』が江戸に「伏のいる世界」を作り、さらに冥土が「浜路と伏(信乃)の物語」を作るところに引き継がれている。
 最後、「現実」に戻ったかに見える江戸に舞い込んだ一通の手紙。それは虚実どちらの世界のものか。いや、その前に犬山道節が大山道節であるところ、そもそも滝沢馬琴の世界は成立してなかったのではないか……。とかとか、でもこれは私が観た映画の感想だから、見当外れにすぎるかもよってね(笑)。


 私の感想はともかく、とても面白い構造を持った作品だと思います。浜路の心の動きを追うだけで、その恋心にドキドキしちゃうし。信乃の孤独を想像すれば、絶望的な気分になれるし。そして、考えて観始めるとドツボにはまるというね。だから既存のアニメ映画にはちょっとない作品だと思うのですよ。




<追記>
 前述の「入れ子構造」は、「江戸」という箱の中に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』、その中に深川一座の『贋作里見八犬伝』、その中に冥土の『伏 贋作里見八犬伝』があるという感じ。


 さて、「虚」と「実」の話をしましたが、今回は「真」と「贋」の話をば。
 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は、伏姫が八房の子を宿したと疑われ、割腹して潔白を証明。傷口から出た気が伏姫の持つ数珠玉8個にそれぞれ仁義八行(仁義礼智忠信孝悌)の文字を刻み、それらが飛散するところから始まります。その玉を宿して宿して生まれた子が物語の主人公となる「八犬士」。
 深川一座の『贋作里見八犬伝』は、伏姫と八房の間に子どもができ、その血脈が「伏」となったという話。実際に信乃たち、伏がいますから、ここで『南総里見八犬伝』が虚で、『贋作里見八犬伝』が実という転換が起きます。馬琴があえて伏が人間と犬の血を引く一族という事実を伏せて書いた『南総里見八犬伝』が先に世に出たため、真実を書いた『贋作里見八犬伝』が贋作になってしまったという構造。
 でも、映画の始まりは冥土の「陸奥の国」で始まり、最後は結末を書いて『伏 贋作里見八犬伝』のタイトルで終わる。映画そのものが冥土の創作であるのなら、それが「贋」で、やはり『南総里見八犬伝』が「真」かもしれない。と、ぺろりぺろりと真と贋がめくれるのが、この映画の面白さのひとつじゃないか、と。


 早い話が本来対立するはずの二項を曖昧模糊に溶かしてしまう物語のように感じるのです。男と女、狩る者と狩られる者。清と濁(潔癖症の殿様が住む江戸城と煩悩渦巻く穢土の吉原)、真と贋、虚と実……。


で、ここまで虚と実、真と贋について語って来ましたが、実はどちらの解釈にも穴がある。きれいに説明できないところが、この映画のやらしいところなんですよ。
ただ私のように理屈っぽい人間には、面白い思考遊戯の題材です。考えれば考えるほど玉葱の皮を剥いてる気分になるので、興味のある方はぜひ。


 え、この映画の一番の見どころですか? 本音の本音ですか? それはもう「信乃の首筋には牡丹の花が、馬加の頬には彼岸花が咲いている」ってところですよ!


 『伏 鉄砲娘の捕物帳』:http://fuse-anime.com/
 『伏 鉄砲娘の捕物帳』予告編:http://www.youtube.com/watch?v=QA_oU3mF4v4
 

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