Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

連続テレビ小説『エール』第1週Tweetまとめ

連続テレビ小説『エール』イメージ

 

NHKで放映中の連続テレビ小説『エール』に関して、第1週分のTweetをまとめました。ついでに、字数で省いたこともちょっとだけ加えています。

今、Tweetできているのは、テレワークのおかげで、平日の通勤時間がないため(2時間ほど時間ができているのです)。いつまで続けられるかわかりませんが、書ける間は書いていこうと思っています。

 

<『エール』第1話 4月1日 Tweet
最初、何が始まったかと思いましたよね。魚を逃した原始人? 妻子を亡くした開拓者?? 恋人を失った70年代フォークシンガー??? プロポーズフラッシュモブをスベらせたサラリーマン(青スーツが『ラストコップ』のモッちゃんを彷彿させます)まで、悲劇ばかりの窪田正孝NHKの制作サイドの誰かの心に『平清盛』の重盛の苦渋の顔が焼き付いていると見ました(笑)。

 

フラッシュモブの中の清掃員の長髪のおじさんが気になって……。窪田さんのダンスはもちろんキレッキレでしたが、このおじさんのダンスも目立っていました。あれだけの分数にすごいプロをつれてきた感。

 

一転して、「東京オリンピック・マーチ」の作曲に苦心している古山裕一、55歳。音の歌声に気づいて立ち上がる姿が、実に50代。一瞬前にハツラツとフラッシュモブを踊っていた人とは思えません。背筋を伸ばして立つ姿には30代の若さが見えるのだけど、ふと大儀そうに見せる動作に、50代半ばの人間の“半世紀分の重力”を感じさせます。

 

やはり白眉は、長崎で親族全員を亡くした警備員(萩原聖人)に励まされたときの表情ですね。裕一の「長崎の鐘」に生きる希望をもらったという警備員。自分の曲が多くの若者を戦争に追いやり、死なせてしまったという悔恨に、その言葉は救いであり、刃でもあり。複雑な胸中を微妙な表情変化で“見せる”窪田さん、さすが!

 

「時に音楽は人の喜びを大きく楽しく盛り上げてくれます」

「時に音楽は人の悲しみに寄り添ってくれます」

「時に音楽は折れかけた心に力を与えてくれます」

「時に音楽は現実逃避の手助けをしてくれます」

「時に音楽は人生をかけた一大事に力強い武器となってくれます」」

人類史と共にある音楽を語る冒頭、そして警備員に向けたこの裕一の表情で、『エール』がどのようなドラマになるのか、ポリシー的なものは見えた気がします。

いい意味でも悪い意味でも「なぜ人は音に魅せられるのか」。長い物語はこの表情に帰着し、さらに変化するのでしょう。第2話の「威風堂々」が「オリンピック・マーチ」に昇華するように。その日まで、できるだけがんばって追いかけていきたいと思います。なにより、音楽ものは大好物ですしね。音楽には間違いなくセイレーンのような魔物が棲んでいるので。

 

語りの津田健次郎の声も、物語の邪魔をせず、でもそこはかとなく茶目っ気もあって、聞いていて心地いい♥ 制作サイドが『エール』の語りに津田さんを選んだ理由が知りたい。でも、わかるような気がしています。

 

裕一が「オリンピック・マーチ」を譜面に起こすときの仕草が、『探偵、青の時代』の講義の最中に小説を書いているアリスを彷彿させたとは、口が裂けても言えない(笑)。

 

<『エール』第2話 3月31日Tweet
裕一が最初に聞いた西欧音楽はエルガーの「威風堂々(Pomp and Circumstance )」ですか。

原題はシェイクスピアの『オセロ』の第3幕3場のオセロのセリフ「Farewell the neighing steed and the shrill trump, /The spirit-stirring drum, th' ear-piercing fife, /The royal banner, and all quality, /Pride, pomp, and circumstance of glorious war!」(進軍する馬と高らかなトランペット、心を鼓舞する太鼓、耳をつんざくような笛、翻る気高き旗、そして誇り高く、壮麗なる戦争のページェントよ、さらば!)が由来とされているので、これからの(特に第二次世界大戦前後の)裕一を暗示するかのようでもあります。

 


<『エール』第3話 4月1日 Tweet
「福島三羽ガラス」がそろいました。子どもながらにすごい個性を持った鉄雄と久志。ふたりが裕一とどんな友情を育んでいくのか、とても気になります。

 

恩師となる藤堂先生は、森山直太朗とは気づかなかったくらい”音楽の先生”でした。風間杜夫もいかにも地方の名士でやはり上手い! 子役たちも、窪田正孝に、中村蒼に、山崎育三郎に引き継ぐ“その後”を意識しながら演じているようで、勘がいいなあと感じます。

 

その中で一人、古山三郎ではなく「唐沢さんだなあ」と思ってしまう唐沢寿明。役に演じ手が透けて見えるのも俳優の在り方としてアリですが、今作の座組では少々浮いて見えます。特に、萩原聖人の萩原さんと気づかないほどの警備員を見てしまうとね。

 

<『エール』第4話 4月2日Tweet
わら半紙が懐かしい。音符と拍の長さをリンゴで描いているのが、かわいい。しかし、いきなり作曲しろとは、藤堂先生も結構無茶ぶりな人だなあ。それも即興鼻歌とかじゃなくて、五線譜に起こせとは……。

それでも(父親から教本を与えられるというアドバンテージがあるにせよ)、自分がこれまで聞いてきた音や曲を思い出して、旋律を引っ張り出す裕一。早速、才能の片鱗を見せました。

 

文章にしろ絵画にしろ勉学にしろ、“天賦の才能”を持つ人は、「さあ、やろう」などと思う前に自分の内側から文章が、線や色が、理論や方法があふれてくるのだと思います。それはもう、身近に数学大好きな甥を見ていたのでわかります(高校の数学ドリルを嬉々として解く小学5年生なんか、理解の外!)。

それが特に顕著なのは音楽で、才能のある人というのは、生活の音すべてが曲に聞こえてしまうくらいなのじゃないかな、と。

 

第4話のキモは、自分が記憶してきた音が、小山田耕三(山田耕筰)の作曲教本という作法を得て“音楽”になった、つまり裕一が外に出せなかった“自分(才能)”を表現できる作法を得たということじゃないかなと思います。

 

石田星空くんが役になじんできたようで、裕一の結構“陽キャ”なところが出てきてなにより。

実際、二十歳前の古関さんは、大御所の作曲家だった山田耕筰にファンレターと一緒に自分の曲を送りつけたり、竹久夢二展で見た絵に曲をつけて、夢二に会いに行って本人の前で歌ったり、ちょっと爆走機関車みたいなところのある方だったようなので。

 

第4話の小さな不満は、賛美歌312番「いつくしみ深き」の歌い終わりに「アーメン」がなかったことです(あるべきものがないのは、ちょっと気持ち悪い)。そして、今後の楽しみは、裕一と鉄男がどのようかきっかけで仲良くなるのか、ですね。彼の詞に、裕一が曲を書くようになる過程が早く見たいです。

 

<『エール』第5話 4月4日Tweet
「福島三羽ガラス」の個性が際立ってきました。「存在感はあるのに、気配を消すのは得意」(自分で言うんだ)な神出鬼没の妖精に、「悔しいことを笑ってごまかすな」と悔しさを呑み込んで逆境に耐えるナイト気質の文学少年。さて、裕一はというと、騎士と妖精に守られるアマデウス(神の愛し子)かな……。

 

久志が口癖のように言う「伝わらないんなら、いいや」という言葉が気になります。久志が裕一に興味を持ったのは、裕福な家の息子という共通点からで、「伝わる」部分が多いと踏んだからでしょう。

それでも裕一に「伝わらない」部分がある。それを「違い」と達観して諦めたまま友達づき合いをしていくのか、どこかで裕一が「伝わらない」のではなく「伝わらせる」ことが大事なのだとブレイクスルーするのか。後者を期待したいです。

 

裕一と浩二の関係もなかなかに複雑そう。兄は母にベッタリの弟がうらやましく、弟は父にいろいろ買ってもらったり、一緒に音楽を聴いたりしている兄がうらやましい感じでしょうか。

奔放な兄を持つ、真面目な弟の気苦労や複雑な葛藤が今から想像できるような……。

 

「赤い鳥」(西條八十北原白秋)や山田耕筰(小山田耕三)の『作曲入門』、竹久夢二が表紙を描いた「セノオ(妹尾)楽譜」など、これからを予感させる布石が打たれているのが期待を膨らませます。

 

さて、来週は音サイドなのかな。なぜ音が福島・川俣の教会で聖歌隊に混じって歌っていたのかがわかるみたい。ゆるい気持ちで観ますよ(笑)。

 

 

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