Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

映画『ファンシー』のイメージは旧「クールミント」のイラスト!

ロッテ旧「クールミントガム」のイラストっぽいもの

ロッテの旧「クールミントガム」のイラストっぽいもの

 

映画『ファンシー』の南十字星ペンギンは、久しぶりに「窪田正孝ならでは」の役を観た、という印象でした。

コウテイペンギンが、南極大陸の氷原で斜め上を見たまま立ち尽くしている、その不動のシルエットとか。たまに下を向くときの、重力に負けたかのようなくにゃり感とか、歩く時のペタペタ、ユラユラしたぶきっちょ感とか、「うん、ペンギンだ」と思いました。

 

浮かんだイメージは、ロッテの旧「クールミント」ガムの、星空の下、氷山を背景に、空を見て立つペンギンのイラストです。一見、ペンギンは凍った世界にひとり立っているのですが、よく見ると、つかず離れずの距離でゆったり潮を吹いているクジラがいます。お互い別の方向を向いているのですが、この小さなイラストの閉ざされた静かな世界にふたりきりでいるんです。

冷え切ったリビングでくつろいでいるペンギンと郵便屋さんの距離感が、「クールミント」のペンギンとクジラみたいだなあと感じたのでした。

 

ちなみに、1960年から1993年に「クールミント」のデザインが一新されるまでのイラストなので、知らない方もいらっしゃるかと見様見真似で描いてみました(上記)。

実物を見たい方は、下記リンクをご覧ください。

ガムの歴史:グリーンガム&クールミントの進化|ガムタウン|工場見学・学ぶ|お口の恋人 ロッテ

 

さて、先にコウテイペンギンと書きましたが、窪田さん扮するペンギンは、目だけを言えばアデリーペンギンっぽいんですよね。原作のペンギンも、目の印象だけを言えば、アデリーペンギンっぽい。

てっきり『ジョーカー 許されざる捜査官』第4話の椎名高弘役の、あの狂気の宿ったぐるぐるぎょろぎょろの目の演技から、窪田さんがペンギン役に抜擢されたのかと思ったのですが、違ったようです。

私はアデリーペンギンだけには「かわいい」より「気持ち悪い」が先立ちます。その理由もわかっています。目の周りに白いアイリング(囲眼羽)があるからです。

黒目の全周囲に白目(白い部分)が見える「四白眼」は、表情が読みにくく、また滅多に見ないものだけに違和感を覚えます。その目を芝居でできてしまうのが窪田さんで、まさに原作の、そしてお面どおりの、浮世離れした“ペンギン”そのものに变化(へんげ)していました。

 

さて、「ファンシー(空想。想像。気まぐれ。思いつき)」なんてタイトルなのですから、気まぐれに思いつくまま書いてみましょうか。

 

夜は彫師、昼は郵便配達員(郵便屋さん)という、ふたつの職を持つ鷹巣明(永瀬正敏)。

この彫師という職業が絶妙だと思うわけです。「絵を描く」なら画家という“アーティスト”です。でも、人肌に針で色を刺して描く絵はアート(芸術作品)とは評価されません。刺青を入れたがる人間は、男も女も闇の世界に生きる者。昼の世界では刺青は服の下に隠されて、誰に見られることもありません。それどころか、背中の刺青など、背負う本人さえ直視することはないのです。

カジュアルな「タトゥー」なら、ファッションとして昼の世界を謳歌して、アートと評価されたかもしれません。でも鷹巣はそれを良しとはしません。鷹巣の離婚した奥さんが、現在はタトゥーの彫師の連れ合いとなっているのが象徴的です。

鷹巣には、思春期に目撃した、女の背中とそれに牡丹を彫る父親(宇崎竜童)の姿が、彫師としての“究極の美”として焼き付いているのかも、と思いました。背中に刺青を彫るような人種が少なくなってきて、衰退するばかりの“美”に、妻子に去られ、田舎町でダブルワークをしながらしがみついてしまうのは、“究極の美”を知り、魅入られてしまったからなのでしょうね。

そして、それと同じものが決して手に入らないということまでわかっているからこその、あの悟ったような虚無感なのだと感じます。

 

鷹巣が、父親が埋まっているところに登っていくように、やはり登っていくところがあります。高台にある詩人・南十字星ペンギンの家です。

家を冷房フル稼働でキンキンに冷やしている彼はペンギンで、風呂は氷水だし、食べ物は氷漬けのイワシです。それなのに人語で詩を紡ぎ出し、箱にいっぱいのファンレターを鷹巣に届けさせるのです。

自分の詩(アート)ひとつで生活しているペンギンは、鷹巣には見上げる存在です。反面、人の心を惹きつける詩を書けても、人間の生々しさを知らないペンギンは、人間の表も裏も知り尽くした鷹巣には「人畜無害のケモノ」でしかないのです。

 

人生の酸いも甘いも噛み分けた報われないアーティストと、浮世離れしたところさえ魅力に思われる、世に認められたアーティスト。タイプの違うアーティストの葛藤を描いた作品は山のようにありますが、鷹巣とペンギンのバランスとベクトルにはこれまでにない新しさを感じました。

 

この映画のもうひとつのモチーフは、ペンギンが仰ぎ見る“月”なのではないかと思います。

そう考えれば、鷹巣にとって高台に住むペンギンはたぶん、凍ってて不毛(不能)なのに、皆に見上げられる(憧れられる)“月”なのでしょう。

月夜の星にとってペンギンは、ふわふわした思いを言葉にして届けてくれる、輝きながら寄り添ってくれる“月”だったのでしょう。

ふたりの“月”であるペンギンにとっての月は、孤高でありたいのに、自由に空想したいのに、人間の性(さが)に引き止められて、その域に到達できない場所なのかもしれませんね。あるいは逆に、詩人(ペンギン)だからこそ手に入れられない、人間の性そのものなのかもしれません。

 

ペンギンのデスクの上のチェスの駒が赤と白で、彼の気分によって駒の並び方が変わるのが細かい! さらに、彼が目指したのが、赤と白の月だったこととか、意味深かもしれませんね。赤は生の色、女性の色(経血)、白は死の色、男性の色(精液)を表すとか言いますよね。

(ちなみに、知人の付き添いで廣田正興監督にお会いした時、監督は「ピンクの月」とおっしゃっていました)

 

さて、この作品、月夜の星も言っていたけど、鷹巣とペンギンのプラトニックラブを感じるんですよね。山本直樹作品らしい(というか、私が知っているのは森山塔名義の作品のほうですが)、歪な男女関係がどろどろ展開する中で、このふたりのシーンの遠慮がないのに思いやりがある会話は、なにか貴重で大切なものに感じました。

 

この映画の舞台設定も秀逸だなと思うのは、郵便局の存在ですね。
私が子どもの頃、地元の郵便局は「世襲制」と言われていました。明治時代に、郵便網の構築を急ぎつつも、資金がなかった政府が、地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させる代わりに郵便事業を委託したのが始まりで、以来、代々受け継がれたからです。

だから、郵便局の局長さんは特別な存在で、「地域のことを何でも知っている」と思われていました。区域の住所はもちろん、世帯構成とか、誰がどこにどんな手紙や荷物を送ったとか、郵便貯金とか、把握できてしまう仕事ですからね。

2007年の郵政民営化以降はそのような特別視はなくなったように感じます。

 

ただ、特に地方の郵便局がそういう存在だったと思えば、局長(田口トモロヲ)の黒幕ぶりが、私の記憶の中の「郵便局」像にぴったりハマるんです。子どもの頃に感じていた郵便局の敷居の高さ=触れてはいけない感覚が蘇って、思わず鳥肌が立ちました。

 

それと、この映画はおそらく、鷹巣が生活している郵便局と刺青を通じた闇の社会を現実、鷹巣が入り込んでいくペンギンの暮らしを幻想に設定して、「現実とファンタジーの間を揺らめく男女3人の関係性」を描いているのだろうと思います。

しかし、私には、むしろヤクザの抗争や郵便局長の逆襲のほうがファンタジーで、ペンギンと鷹巣、月夜の星の関係性のほうがリアルに感じました。

それは、ヤクザや善良な市民の裏の顔がフィクションに取り上げられすぎて、むしろ作りごとに感じてしまうからかもしれません。あるいは、広島抗争をはじめ暴力団同士の抗争が、昔ほどに至近で起こっているように感じられなくなったからかもしれません。今でも分裂抗争は起こっていて死傷者も出ているのですが、この「遠い」感覚はなんだろうと我ながら不思議です。

たぶん、鷹巣の感情線が、刺青を入れにきた組長殺しの犯人・新田(深水元基)や親の跡目を継いだホテルの社長兼組長・国広長谷川朝晴)や郵便局の面々に対してより、ペンギンと月夜の星に対してより揺れ動いていたからなのでしょう。やはり主人公の感情線が通っているほうが、映画における“現実(リアル)”なんだな、と改めて気づかされた気がします。


女性陣の配役もぴったりで、月夜の星役の小西桜子は「デビュー作でここまでしていいの!?」と驚くくらいの体当たり演技で、夢見がちな少女から現実的な女性へと見事な変貌を見せてくれました。3週間遅れて公開された窪田さん主演の映画『初恋』でも危うくて純粋な少女を演じていますが、『ファンシー』の月夜の星とは同一人物が演じているとは思えないほど“別人”で、ますます将来が楽しみな女優さんです。

あと、つぼみの登場には驚きました。AV女優の中でもその美しさや演技力の高さは一頭抜けてる方だと思っていたので、キャスティングの慧眼に恐れ入りました。

 

映画『ファンシー』、公開が拡大しているようです。
新型コロナウイルスの感染拡大で自粛が叫ばれていますが、この状況が治まり次第、ぜひ劇場で観ていただきたいですね。

監督の「表現したい」思いに、俳優さんたちがみんなで応えようとしていらっしゃるのが見える、素敵な映画だと思っています。


特に三池崇史監督の映画『初恋』とご覧になりましたら、『ファンシー』と『初恋』という、近い時期の窪田さんと小西さんの役柄や演技の違いも堪能できますよ!

 

テアトル新宿

テアトル新宿にて

パンフレットと「長野県千曲市ロケ地MAP」

パンフレットと「長野県千曲市ロケ地MAP」