Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

一日延びました。

 メーカーチェックが戻って来ないので、校了が延びてます。まだ終わらないよ。寒いね、パトラッシュ。本日も待機の一日ですか。あんまり待たされると、眠っちゃうぞ! ほら、目の前にルーベンスの「聖母被昇天」が……。


 某誌で「メーカーチェック、その日戻し!」とかゴリ押ししてくださいましたが、それがどんなに難しいことか、わかっていただけましたかね(と、虚空に向かってつぶやいてみる)。……まあ、わかってて言ってんのやろうけど。
 対メーカーにおける「その日戻し」という荒技は、8ページくらいなら可能かもしれないけど、さすがに今回は無理だろう。せめて中二日は必要だろうと思ったら、やっぱり昨日には戻って来ないでやんの……(送付完了したのは7日らしい)。
 昨日は私の運勢、大吉だったから、うまくいくかと思ったんですけどね。ちなみに、本日は中吉。


 「パトラッシュ」と言えば、『フランダースの犬』に共感するのは日本人だけなんですってね。
 英国人作家ウィーダが1870年代に書いた悲運の物語は、ヨーロッパではまったく評価されず。欧州人には、ネロの悲劇は「負け犬の死」(ディディエ・ボルカールト談)にしか思えないのだそう。アメリカで過去に5回、映画化された際は、すべてハッピーエンドに描き直されたのだとか。

 このたび、ベルギーの映画監督ボルカールト氏が、『フランダースの犬』の悲劇的結末について、世界6カ国で100人を超えるインタビューを決行。3年がかりの検証のもようを、1時間25分のドキュメンタリー映画『パトラッシュ』に集約しました。
 それによると、日本人がもつ「滅びの美学」が、ネロへの共感を呼ぶらしいです。

 「プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は『日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの』と結論づけた」
YOMIURI ONLINE 2007年12月25日付「『フランダースの犬』日本人だけ共感…ベルギーで検証映画」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htmより引用。)



 この記事を読んだときは「ヒマな人もいるものだ」と失礼ながらちょっと呆れましたが、実は民族・民俗学的にも、国際学的にも注目すべき検証じゃないかと思い直しました。
 「滅びの美学」を心の底に秘めるのは、世界のなかでも日本人だけなんでしょうかね。儒教の源泉である中国にはちょっと合わない気がするので、日本独自のものかな。そうだとするなら、私は誇りたいけれども、国際社会のなかでは生きにくい思想でありましょうな。


 ところで、『マッチ売りの少女』や『人魚姫』などは、欧米ではどんなふうに読まれているのでしょう。
 欧米文学には日本人の「滅びの美学」の琴線に触れる作品がけっこう存在しますが、これらの作品を、欧米人は日本人とはまったく違った印象に読んでいるのだとしたら、それを知りたいと思いますね。