記憶の修正
「かなしさは疾走する。涙は追いつけない。」
母が教師だったので、ときどき母の学校の先生が家を訪ねてきていました。そのうちの一人、国語の先生が創作童話の朗読テープとか、「国文学研究」といった感じのお堅い同人誌とかをよくくださったわけです。
たぶん中学の頃のこと。その同人誌にあった、中原中也と小林秀雄についてのエッセイに出てきたフレーズだと思います。内容などはまったく覚えていないのですが、この文章だけは鮮明に記憶に残りました。ただ、中原中也関係の文章で読んだので、てっきり小林秀雄が中原中也の死に手向けた言葉だと大誤解していたんですね。
今回、仕事で中原中也と長谷川泰子と小林秀雄について書く機会があり、調べてみました。そうしたら、小林秀雄が中原中也の追悼に書いた詩はなんともかんともなモノで、先の文章を生み出した人と同一人物とは思えない。まあ、小林秀雄の「なんと言っていいかわからない」という正直さは出てるのかなあという印象。
で、冒頭の文章です。これ、小林秀雄がモーツァルトの「弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516 第1楽章」に寄せたものだったんですね。
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた『かなし』という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。」(小林秀雄『モオツァルト』)
文章はすごいんだけど。言葉の選び方もすばらしいと思うんだけど。私はモーツァルトの「弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516 第1楽章」を聞いても、そういう感想はもたないなあというところで、共感できないのでした。
まあ、仕事をきっかけにして長年の誤解が解けたので、良し。
そんなわけで、二ヶ月以上を費やした仕事は一応終わりました。「終わらないかも」と思ったらやっぱり終わらなくて、最後はヘルプをお願いしちゃったけれども。
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