Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

京の奥座敷「鞍馬・貴船」の旅 裏テーマ

 今回の旅の裏テーマは「謡曲(能)の舞台を訪ねる」でした。すなわち、『鞍馬天狗』の僧正ガ谷と『鉄輪(かなわ)』の貴船神社です。


 『鞍馬天狗』は、山伏に化けた鞍馬の大天狗が、鞍馬寺の稚児・沙那王(牛若丸)にひと目惚れする話です。平家の隆盛を嘆く沙那王を花見に誘ったりして慰める山伏は、ついに大天狗の正体を現わし、沙那王に兵法を伝授します。「これを用いて、驕る平家を滅ぼせ」と。
 謡曲での沙那王は、大天狗の言いつけを守ったことからその誠実さを褒められ、秘伝を授かりました。鬼一法眼の「盗み読み」エピソードとはかなり異なります。
 兵法の奥義をすべて沙那王に教えた大天狗は、鞍馬の山奥へ消えます。飛び去ろうとする大天狗の衣にすがって、沙那王は別れを哀しみました。

 そのあとは、ご存じのとおり。16歳で鞍馬寺を出奔した牛若丸は、ようやく元服の儀を終えて源義経となり、大天狗との約束どおり平家を滅ぼします。しかし兄・頼朝に疎まれて朝敵として追われ、弁慶ら腹心の部下とともに奥州・平泉へ逃げますが、衣川館(ころもがわのたち)で果てることに。
 その魂が、鞍馬に戻ったとされ、大天狗(護法魔王尊)の脇侍として祀られているなんて。古人もなかなか粋なことをすると思うのは、私だけでしょうか(笑)。


 『鉄輪』は、自分を捨てて後妻を迎えた夫に復讐しようとする女の話です。
 ある夜、貴船神社の社人は「丑の刻参りをする都の女に神託を伝えよ」という、夢のお告げを聞きます。丑の刻(午前2時前後)に社人が待っていると、果たして夜陰のなかに現われたのは、ひとりの女。彼女は都から貴船までの道のりを、もう幾晩も通っていたのです。社人は女に「赤い衣を着て、顔を赤く塗り、火を灯した鉄輪(五徳)を頭に載せれば、怒りの心で鬼になる」と、神のお告げを伝えます。

 そのころ、都の下京に住む男が、連夜の悪夢に苦しめられていました。悩みあぐねて陰陽師安倍晴明を訪ねた男に、晴明は「先妻の呪いで夫婦ともに命が危うい」と見立てます。男の家に出向いた晴明が夫婦の形代(かたしろ)を用意して祈祷していると、火を灯した鉄輪をかぶり、赤い衣を着て、鬼の扮装をした先妻が出現。彼女は夫婦の形代である人形を襲いますが、晴明の術で呼び出された神将たちの力で退けられます。女は「足弱車の廻り逢ふべき時節を待つべしや。まづこの度は帰るべし」と言い残して姿を消すのですが……。
 それまでは見えていた女の姿が消え、ただ声だけが聞こえる。これはもう現世の存在ではなく、本当の鬼になってしまったということなんですね。


 『鉄輪』の先妻は、平安時代前期、嵯峨天皇の御代に、夫に裏切られ、生きながら鬼と化した「宇治の橋姫」がモデルと言われています。怒りと憎悪に囚われた橋姫は鬼となって復讐したいと願い、「松ヤニで角をつくり、鉄輪をかぶって、宇治川に37日間浸れ」という貴船明神のお告げのとおり川へ身を浸します。ついに生身のまま鬼に変化(へんげ)した彼女は、夫と女、その縁者をことごとく殺し、心願を果たしました。
 「形(なり)」を真似てなりきっていると、やがてそれそのものになってしまう。変化譚のひとつのパターンですが、警鐘もこめられているでしょうか。


 『鉄輪』の前半、先妻(前シテ)の能面は、悩み深い「泥眼(でいがん)」、あるいは憂いを秘めた「曲見(しゃくみ)」が使われます。それが後半(後シテ)になると、頭に鉄輪を置き、面(おもて)は「橋姫」や「生成(なまなり)」といった恐ろしいものに。この鬼女の迫力には、さしもの晴明サマもたじたじですよ。さても女の怨念は怖いもの。


 その怖さの一環と申しますか。母の趣味が能面打ちであることは、以前にも書きましたとおり。当代一と誉れの高い先生について、趣味とはいえ、けっこう本格的なんです。近年は先生の勧めで過去に打った面の直しをしており、菊慈童、中将、深井等々ときて、今は般若に取りかかっているのですが……。
 この般若面をつくるとき、母はもちろん、家族ぐるみで和歌山の道成寺にお参りに行きました。般若は『道成寺』(安珍清姫の物語の後日譚)の白拍子清姫)に使われるからです。面が完成したときも、母ひとりで道成寺に行ったそうです。

 ところが、このたびの直しについてはお参りに行かなかったんですね。そのせいか、突然に左目の上がかぶれたようになり、腫れ上がってたいへんなことになったとか。私が帰省したときにはずいぶんよくなって、爪で引っかけたような赤黒い痕が2カ所ほど残っている程度になっていました。
 旅行を決める前に聞かせてくれていたら、母の代わりに道成寺に行ったんですけどね。まあ、しかし、「五行相剋」で言うところの「水剋火」(水は火を消す)。水神さまである貴船神社に参詣すれば、清姫の火も消えるのではないかと思うのですが、さて霊験はいかがなものか。罪穢を流す水の霊力と疫病を祓う「茅(ち)の輪」が役立つよう祈っています。


 もうひとつ、怖いこと。実は私、鞍馬・貴船には一度行ってるんですよ、家族旅行で。母によれば、私が中学2年生のころのことらしいですけど。
 たしかに貴船の川床料理(そのときは「べにや」)をいただいたことは覚えています。でも、鞍馬に登った記憶はまったくございません。今回、そのときと同じコースを歩いたはずなんですが、思い出せません。清々しいほどにすっぽりと抜けています。本当にあるんだ、記憶喪失って……(<いや、単なるもの忘れ)。
 どこに消えた、私の記憶!? なにがあった、そのときの自分!?


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