Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

不変なるもの

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 昨日、所用で名古屋郊外まで日帰り往復しました。東京-名古屋間の所要時間は、新幹線のぞみ号で片道1時間42分。自宅を8:30に出て、帰宅したのは20:00過ぎ。たった半日の旅だったのにくたくたに疲れてしまい、帰り着いたとたん寝落ちしました。
 あれですかね。もういいかげん歳ってことですかね……。かつては「どこまでも旅して一生を過ごしたい」と思っていたとは、我ながらウソみたいだ。今月、帰省するのにもう一度、新幹線に乗らなきゃならないんだぞ。が、がんばれ、自分 orz。


 年に2回ほどの帰省と取材や旅行などで、東海道新幹線は昔からわりとよく利用しています。それでも、曇っていたり、雨だったり、夜だったり、混雑がひどくて窓外を気にする余裕がないなどの理由で、なかなか見ることのかなわない富士山。ところが、昨日は驚くくらいはっきりと、きれいに見えました。
 同行の方がたと離れて、私ひとり指定席車両の二列席窓側にいたので、思う存分、消えては現われる富士山を堪能。車内のあちらこちらからケータイやデジカメ(それも、連写モード)のシャッターをきる音が聞こえるのにつられて、私もケータイでパチリ。


 私が富士山に惹かれるのは、たぶんこの山に「不変」を感じるからだと思います。もちろん「変わらない」なんてことはなくて、山の環境も形も少しずつ変わっているのでしょう。言われているとおり、いつか噴火するかもしれません。
 でも、この山を視界に収めたとき、感じるのは「変わらない」という感慨なのです。いつか私が消えても、この世にあり続けるもの。「変わらずに、この地にいてくれるもの」の象徴。まさに「不死山」。
 他の山には感じることのないこの気持ちは、富士山が日本一の高さを誇ることに由来するのかどうか。なにより、この青と白の美しいコントラストと、広く裾引く美しい立ち姿に、「ここにあなたがいてくれて、うれしい」と思うのです。
 たぶん先人たちも感じ、そうして後の人びともそう感じるであろう存在。願わくは、そのままの姿でいつまでもそこにいてください。「会いたい」と思ったとき、いつもそこにいてくれるとわかっている存在が、ひとつくらいないと寂しすぎます。

 さて、私にはとてもつれない、この御山。こんどはいつお目にかかれるでしょうか。