Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

初夏の水戸・北茨城、満腹旅行 2日目!

 旅の2日目。千波湖の朝の風景を楽しみながら、ホテルレストランで朝食バイキング。このホテルを選んだのは、駅に近い、千波湖を一望できる、建物の形がユニークでわかりやすい、室料が予算内という理由のほかに、朝食がブッフェ形式だってこともあったのです。ほら、お膳形式だとひとりにひとつついてくるでしょ、アレが。水戸だもんね。本場的な特産品だもんね。絶対に出るよね。……納豆が orz。
 もったいないじゃないですか、無駄にするの。食べられないってわかってるんだから、ここは自分で回避するべきでしょう。友人は納豆、食べられるしね。
 ということで、ホテルシーズンの納豆は常陸太田市の久米納豆だそうですよ。ここは、米、味噌、玉子、ぬか漬けも茨城県産のものを使っていて、地産地消の考え方も好感がもてます。まあ、日本屈指の農業地帯であり、太平洋に面した海岸線をもつ茨城県が、地産地消を否定したらどうなるんだ!?って感じですが(笑)。


 昨日は千波湖の西部を中心に観たので、本日は水戸駅北東部を回ります。すなわち、第9代水戸藩主の徳川斉昭によって建てられた藩校「弘道館」と「水戸黄門神社」です。


koudoukan_omote.jpg
弘道館の表玄関。
(写真はすべて、画像クリックで大きくなります)


 まずは水戸駅から大銀杏の脇を通って、坂道を上がります。見えてきたのは、かつての水戸城三の丸の在処を名前に残す三の丸小学校。その裏手が「弘道館」です。
 建物全体がひじょうに趣きがあるうえに、風通しがよくて、屋内のどこにいても気持ちがいいんですよね。昔の日本家屋のよさをしみじみと堪能できる、「行ってよかった!」と思えるところです。


koudou_1.jpg


 「水戸学」とか「尊王の志」とか「藤田東湖」とか、どこかで学んだような事柄が突然に目の前に現われて、今さらながらに「あれはこういうことか」と得心したり、感心したり。「弘道館」の関係者の筆跡が残っているのですが、烈公こと斉昭は、書体といい、書かれている内容といい、なんとも熱血というか、男のロマンあふれる感じで、「水戸学」に堅苦しいものを感じていた私は意外に思いました。
 奥の間の「至善堂」は藩主の御座所で、明治元年大政奉還した徳川慶喜が謹慎していた部屋でもあります。藩主専用の小・大便所も復元されていて、いやはや日本史がやけにリアルですよ(笑)。
 藩主が座する部屋の畳の縁には葵の紋が刺繍されていて、うっかり踏んではいけないような気分になります。そもそも畳縁は踏んではならないものですけどね。


koudou_2.jpg
資料館とつるべ井戸。


 付属の資料展示室では江戸時代の水戸城下の地図が展示されていたのですが、田に畑、林ばっかり……(いちいち達筆で書かれているんだ、「田」とか「畑」とか)。千波湖も今より大きかったんですね。
 小石川にあった水戸藩江戸屋敷の見取り図には、安政の大地震の際に母親をかばって落ちてきた梁を受け、圧死した東湖について、「東湖先生、圧死ノ現場」などと書かれていて、当時の人には衝撃的な出来事だったんだなあと思ったり。


koudou_3.jpg
弘道館の裏手にある梅林。どこまでも続きます……。


 しかし、なんですね。「偕楽園」にしても、「弘道館」にしても、梅、梅、梅、梅だらけ。「偕楽園」には100品種約3000本、「弘道館」には60品種約800本……。梅干しは兵糧にもなるし、塩分の補給や食欲増進、整腸、疲労回復、殺菌、二日酔いにも効くと言いますから、斉昭が梅の植樹を推奨したのもわかりますが、それにしても多すぎだろう。花の終わった梅の木の青葉の陰には、ほんのり朱がさした小さな青梅がたくさんなってました。
 紀州徳川家の「西の横綱南高梅」、水戸徳川家の「東の横綱、偕楽梅」。尾張名古屋の特産品に梅がないのが、むしろ不思議です。


koumon_sama.jpg
水戸黄門神社。かわいいお社です。


 「弘道館」から大手橋を渡って水戸城趾を眺めたあと、水戸黄門こと徳川光圀生誕の地(三木家屋敷跡)に立つ「水戸黄門神社」へ。町の片隅、見落してしまいそうなところに小さくひっそりと立っていました。


natto.jpg
たぶんあると思っていましたとも。納豆記念碑!


 わずか1分差で12:13発のいわき行きの電車を逃した私たち。とりあえず12:27発の高萩行きに乗ることに。ええ、結局、高萩駅で、水戸駅13:02発のいわき行きを35分ほど待たなきゃならないってわかってましたけどね。
 車窓を流れる風景は、日本に思えません。どこの外国って感じ。なぜなら、山が見えないんだもん。標高差のあるものがないんだもん。明石の高台に生まれ、六甲山系のおかげで「山が見えるほうが北、海が見えるほうが南」という方位感覚を身につけた私には、東京のように高い建物で風景が遮られることもない、どこまでも広く平坦な地が珍しい以外のなにものでもありません。
 「平たい! なんて景色が平べったいんだ!」と感動するうちに、海なんかも見えてきちゃったりして、ついでに眠気もきちゃったりして、うとうとするうちに高萩駅へ。することもなくホームで35分待ち、やって来た電車に乗って、目的の大津港駅へ。


 このあたりで明日の東京戻りの電車が心配になり(友人が東京駅19:30発の新幹線で関西に帰るため)、大津港駅の窓口で日立駅15:54発の「スーパーひたち46号」の指定席を確保。
 実はこの選択のせいで、翌日は日立駅で40分以上、電車を待つはめになったのですがね。磯原駅発14:46の各駅停車に乗らないと、日立駅停車の「スーパーひたち46号」 (磯原駅は通過)に間に合わないなら、その前の磯原駅に14:41に停車する「スーパーひたち42号」に乗ればよかったんだよ、みたいな。たったの5分違い…… orz。私には鉄道ミステリーは絶対に書けません。
 それでも、明日は日立駅に時間内に着きさえすれば、新幹線に間に合うことは確実。乗車券と指定席特急券を確保して、かなり安堵したことはたしかです。


tenshin_muse.jpg
茨城県天心記念五浦美術館はたいへんモダンな建物でした。


 大津港駅から「茨城県天心記念五浦美術館」へ。タクシーで約5分、運賃900円。陸前浜街道と交わるあたりから、いきなり道がきれいになっているのにびっくり。美術館がたいへんモダンな建物なのにもびっくり。そして、かなり不便な場所にも関わらず、けっこう観覧者がいるのにもびっくりです。
 岡倉天心って、なにかを創造して作品を残した芸術家ではありません。美術行政家であり、美術評論家、思想家ではありましたが、明治期において伝統を重んじる日本美術界から排斥された「異端者」でもありました。だから、その人の足跡を、茨城県福島県の県境までわざわざ見にくる人がいるとは思ってなかったんですよね。……「だったら、自分はなんやねん」って自分でツッコンでしまうわけですが(笑)。
 岡倉天心の名を聞くと、私は複雑な思いに囚われます。尊敬すべき人物であり、過去に「こうなりたい」と思い描いていた理想に近い人物であると同時に、「こうはなりたくない」と思い、お近づきになりたくないと感じる、相反する気持ちが起こるのです。自分と引き比べるのもおこがましいことですが、端的に言えば、この気持ちの根源にあるのはたぶん「うらやましい」。
 一度、彼の境涯に触れてみたいと思い、それには、彼がひと目で気に入って、主宰する日本美術院を移すことまでした五浦海岸(いつうらかいがん/いづらかいがん)に行かなければ、と考えていました。偶然に水戸旅行の話が出たとき、「行くなら今しかない」と五浦行きを計画したのです。


 そして、このとき、「天心記念五浦美術館」に立っています。
 彼の作品と言えば、『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan(東洋の理想)』『The Awakening of Japan(日本の目覚め)』『THE BOOK OF TEA(茶の本)』の、評論・解説本3冊のみ。では、美術館にはなにが展示されているのかと言うと、彼が友人と交わした手紙や覚え書き、書きつけ、著作の草稿、戯曲の原稿、そして写真類です。
 見るうちに、彼は自らの独特の美意識に支配されながらも、日本の美術を世界に紹介することにひたむきだったのだなあと感じました。おそらく世界的視野をもっていたからこそ、日本画壇の保守的な思想にいら立ち、日本美術を蔑ろにする日本政府と国民に怒り、そして、理解されない、でも自分には絶対だと思える信念を抱えながら、自分にできることを模索しながら生きていたのだろう、と。それは、彼にとって、千尋の谷からわずかな手がかりをさぐりながら登るがごとしの険しさだったのではないでしょうか。


 横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山といった日本画家を育て、「朦朧体(もうろうたい)」という日本画の新しい手法が生まれるきっかけをつくり、外国人の友人知人も多かった天心。孤独な偏屈者というイメージは完全には払拭されませんでしたが、カリスマ的な魅力をもった人だったのだなと印象修正。
 法隆寺の救世観音を手帳にスケッチした絵はなかなかに達者。英文はきれいに書けるのに、日本語の文字はヘ……げふんげふん。形容しがたい味わいがあるということもわかりました(笑)。さすが、子ども時代、英語は読み書きできるのに、漢字の読み書きができなかったというエピソードをもつ人物だけのことはあります。
 うん、やっぱりなんだか来てよかった。


itsuura_1.jpg
ホテルの部屋からの眺め。もう夕方の気配が……。


 「天心記念五浦美術館」の裏手の遊歩道を歩いて、今夜の宿である「五浦観光ホテル 別館大観荘」へ。太平洋に突き出した断崖の上に立つこのホテルは、「大観荘」の名のとおり、岡倉天心の誘いで五浦にやって来た横山大観の別荘があったところです。別荘は今もホテルの敷地内にあり、特別室として使われています。
 ここのウリはなんと言っても、「太平洋眺望大露天風呂 大観の湯」。チェックインしてすぐに入りに行きましたが、視界に青い海を映しながら海風を受ける、この開放感がすばらしく気持ちいい! 日没間近で、夕日は見えないものの、空と海がうっすら赤く染まっているのも風情があります。
 湯上がりには、湯上がり処でレモン入り冷水(無料)を飲みながらまったり。なつかしの瓶入り牛乳やコーヒー牛乳、フルーツ牛乳の自販機が置かれていて、子どもの頃に行った銭湯を思い出しました。当時は1本20円くらいじゃなかったかなあ。今は150円です。


 さて、夕食は食事処(宴会場)で、畳の上のテーブル席です。楽でいいけど、ちょっと違和感。「アンコウ料理」が名物ですが、アンコウの季節は終了ということで、「海鮮料理プラン」をお願いしていました。
 ゆずの食前酒に先付け3品。氷が敷かれた刺身の皿に、アンコウの煮こごり、アワビの鍋物、地魚の揚げ物、ワタリガニの赤だしなどなど盛りだくさん。地ビール常陸野ネストビール」のヴァイツェンと燗酒でほろほろと……と言いたいところですが、キンキの姿煮から常陸牛のステーキあたりでギブアップ。ホタテ貝柱の釜飯は、ホタテのところだけ茶碗によそう始末。それでも、デザートのフルーツはいただきましたよ。フルーツがなんだったか覚えてないけどね orz。
 隣席の老夫婦の言にならって、料理を2品ほど減らした「レディースメニュー」が欲しいと主張したい。中年でふつうに食べる私がきついのだから(部屋に帰るなりダウン)、中年女性や高齢の方にはしんどいはず。せっかくの美味しいお料理を、「残したらもったいない」と苦しい思いをしていただくのは残念です。


 一度はダウンし、「今夜はもうお風呂に入れそうにないから、あなたひとりで行ってきて」と大浴場へ友人を送り出した私ですが、夜半に復活!(笑) 露天風呂は23:00までなので、屋内の「海上展望露天風呂」へ。窓外は真っ暗でなにも見えませんでしたが、ひとりで浸かる大浴場もまた気持ちのいいものです。
 部屋へ戻って、潮騒を聞きながら、おやすみなさい。明日は4:35起床です。


茨城県都市公園オフィシャルウェブサイト「弘道館公園」
http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html

ぐるなびサイト「水戸黄門神社」
http://kanko.gnavi.co.jp/spot/63/8010263.html

茨城県天心記念五浦美術館」サイト
http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/

「五浦観光ホテル」サイト
http://www.izura.net/


 岡倉天心については、過去にも「日記」に書いています。興味のある方はどうぞ。
2006年5月7日付「『不二一元』の考え方」
http://d.hatena.ne.jp/wolfcave44/20060507