Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

東京ぶらり旅「旧岩崎邸庭園」 その1

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正面から見た旧岩崎邸の洋館。逆光で眩しい……。
(写真はすべて画像クリックで少し大きくなります)


 東京メトロ千代田線の湯島駅で下車しました。目指すところは、旧岩崎邸庭園台風18号の脅威が過ぎ去り、気持ちよく晴れた今日、ぶらりと「時の風が吹く庭園」へ。

 旧岩崎邸は、1896(明治29)年に岩崎久彌により岩崎家本宅として建てられました。久彌は三菱財閥の創業者・岩崎彌太郎の長男として、1865(慶応元)年に高知県で生まれた、財閥の3代目総帥です。

 岩崎彌太郎と言えば、幕末から明治維新を扱った話のなかで、坂本龍馬および土佐藩の関係者が活躍する作品には必ず登場する人物。彼は土佐藩の地下浪人の家に生まれ、後藤象二郎の知遇を得て、藩の貿易に従事しました。その関係で、土佐藩の外郭機関となった龍馬率いる海援隊経理も担当することに。経理というのは、組織のなかでうるさ型になるしかないポジション。気宇壮大な夢を実現しようとする龍馬と彌太郎は資金繰りでぶつかることもあったようです。
 そのふたりががっちり手を組んだのが、海援隊の船「いろは丸」の沈没事件。いろは丸と衝突したのは、徳川御三家のひとつ紀州藩の藩船です。時代として泣き寝入りするしかないところ、交渉に当たった象二郎、龍馬、そして彌太郎は、紀州藩に莫大な賠償金を支払わせることに成功したのでした。
 明治維新後、彌太郎は土佐藩からの出資を元手に海運業を始め、個人企業として「三菱商会」を設立しました。

 私、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(文藝春秋/文春文庫)のおかげで、かなり岩崎彌太郎という人が好きなんです。来年始まるNHK大河ドラマ龍馬伝』では、香川照之が彌太郎を演じるそうなので楽しみにしていますv

 閑話休題。彌太郎の息子・久彌が、近代建築を教えるために来日していた「お雇い外国人」ジョサイア・コンドル(Josiah Conder/英国人なので「コンダー」のはずですが、当時の日本人にはオランダ風の読み方のほうが呼びやすかったのか、「コンドル先生」で定着しています)に依頼したのが、岩崎邸のゲストハウスになる洋館と撞球室でした。


 洋館は、17世紀初頭の英国の建築様式だったジャコビアンスタイルが基調。まず、正面から建物を見てください。さり気ない左右非対称がこの様式の特徴です。
 年を経た飴色が美しい柱や階段の装飾も、ジャコビアンスタイル。たしかにゴシックほどの厳格さはありませんが、英国の教会とか大学図書館とかを思わせる落ち着きです。

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ホールから階段を見る。
邸内は、あちらにもこちらにも案内板やら注意書きやら
立ち入り禁止の紐やらがあって、撮影には向きません。


 もうひとつの基調はイスラム様式。1階東側の婦人客室の天井はシルクのイスラム風刺繍が施された布張り。暖炉のデザインもイスラムチックです。

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婦人客室の天井と暖炉。イスラム風というか、インド風というか……。


 芝庭から見上げた、洋館の南側。ベランダは、1階2階の2層構造です。外国人が日本に建てた建築物に見られるコロニアルな感じ。1階にも大きなベランダがあるところなど、長崎にある旧三菱第2ドッグハウスとか思い出します。
よく見ると、1階の列柱はトスカナ式、2階の列柱はイオニア式と、わざわざ変えてあるんですね。

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 1階のベランダには、エキゾチックな花のタイルが。これは、ただタイルの表面に色が塗ってあるのではなく、それぞれの色をしたタイルをモザイク様に組んであるそう。だから、表面を削っても削っても、金太郎飴のように同じ模様が出てくるそうです。

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細かいモザイクは職人技の粋!


 こちらは、洋館の隣に建てられた撞球室。ビリアード場ですね。コンドル先生いわくの「スイスコッテージスタイル」。妻壁部分のシングル(ウロコ状の板)や鎧戸、テラスの柱などは、スイスというより、西部劇を思わせるアメリカンゴシック……に見えます。

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私には西部劇風の建物に思えるのですが……。山小屋なのかなあ。


 洋館と撞球室は地下でつながっています。地下道は耐震技術と採光技術の粋が見られるそうですが、見学はできません。残念。

 旧岩崎邸庭園(邸宅と庭園の見学)の入園料は400円。開園時間は午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)。休園日は年末年始(12月29日〜翌年1月1日)。
 木曜日を除いて、毎日午前11時と午後2時にボランティアガイドによる、邸内の案内があります。
 私が参加したグループのガイドさんは、日本に建てられた洋館に造詣が深い方で、お話もおもしろく、約1時間があっという間でした。いろいろ知ることができて楽しかったです。

 また、土曜日には入園料のみで鑑賞できるコンサートも催されています。東京藝術大学出身の演奏家を中心にした約40分のミニコンサートですが、楽器の音が天井の高い木造の洋館によく響いて、なかなか聴きごたえがあります。
 ただし、コンサートのある日は、会場となる1階の客室と大食堂、および婦人客室はベンチやパイプイスが並べられるので、邸内のすべての部屋をきちんと見学したいという方は避けたほうがいいかと思います。

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コンサートの楽器が据えられた客室。


 さて、岩崎邸の洋館の特徴のひとつである「金唐紙」の壁紙と、洋館から続く和館については、別立てエントリーにて。


 旧岩崎邸庭園を出たあと、すぐ傍の無縁坂に行きました。森鴎外の小説『雁』の舞台となった坂ですが、ここの煉瓦塀って、岩崎邸の塀だったんですね。
 何年か前までは『雁』のお玉が住む妾宅のような趣きの家があったそうですが、取り壊されてしまったのだとか。今、往時を偲ばせるのは、岩崎邸のこの塀だけ……。
 さだまさしの作詩・作曲で、グレープが歌った「無縁坂」もここのことです。

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土曜日の昼下がり。通りがかる人もぽつりぽつり。


 岩崎邸から少し歩いて、不忍池を道路の向かいに見るあたりに、横山大観記念館があります。入館料は500円。
 もともとは大観の「池之端の住居」で、彼の思い入れがこもった日本家屋を見ることができます。客間である「鉦鼓洞」には、もう一日中座っていたいと思いました。なに、この落ち着く空間……。
 季節で替わる展示は、このたびは「和紙に描く」でした。なかでも、墨の濃淡をフルに活かして早朝の林の靄が表現された「若葉の林」には、長い間見入ってしまいました。

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横山大観記念館の門。


 遠出もいいですが、東京ぶらり旅もおもしろいです。病み付きになりそう(笑)。


「納屋猫の旅・たび・写真」にも写真をUPしました。
http://nayanekoph.exblog.jp/12630855/

「公園へ行こう!」内「旧岩崎邸庭園」ページ
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html

「旧岩崎邸案内/茅町コンドル会」サイト
http://conder.exblog.jp/

「土佐の人物伝」サイト
http://www17.ocn.ne.jp/~tosa/

「財団法人 横山大観記念館」サイト
http://www.tctv.ne.jp/members/taikan/