ディック・フランシスの作品は永遠に私の愛読書です
2月14日、ディック・フランシスが亡くなりました。89歳。英国の作家で、競馬ミステリーの第一人者。競馬騎手として活躍した後の作家転身で、それゆえに彼が競馬界を舞台にして書いた小説はリアリティと臨場感に溢れていました。今後、彼ほどの競馬ミステリー作家はおそらく現われないでしょう。
最初に読んだのは『大穴』(早川書房/ハヤカワ・ミステリ文庫)でした。
チャンピオンジョッキーとして名を馳せていたシッド・ハレーは、レース中の事故で左手を失い、引退を余儀なくされます。生きがいを無くしたシッドは、「愛想のいい幽霊」と形容されるくらい、なにごとにも関心をもたず、ただそこにいるだけの存在と化していました。
現在の職業は、探偵社の競馬専門の調査員。その夜、やる気なく事務所の見張りをしていたシッドは、一発の銃弾に襲われます。それが体を貫通したとき、彼の心に火が点きました。ジョッキー時代、勝利のためには容赦なく非情になれた勝負魂の火が。シッドは、競馬場を次々に倒産の危機に陥らせている、土地買収の黒幕に挑んでいきます。
以前にも書きましたが、『大穴』とその続編『利腕』でなにより気に入っているのが、シッドと彼の妻の父親(つまり義父)であるチャールズ・ロランドとの関係。お互いにクセのある性格を認め合い、才能を尊敬し合いながら、実の親子以上の親子関係を築いていく。頭のいいふたりの含みをもたせたやりとりが、く〜っとクるほどカッコいいんですよね。
いや、シッドとチャールズに限らず、フランシスの描くメインキャラクターたちは誰も彼も理想が服を着て歩いているような大人の男で、言うことやることがいちいちカッコいいんです!
たとえば、『興奮』で馬丁に身をやつした若き富豪ダニエル・ロークが、不正レースのカラクリを探りつつ、その過程で馬主の姉妹と知りあうところ。馬丁を使用人と蔑みながらしなだれかかってくる妹娘をきっぱり拒絶したり、淑やかなやさしさを見せる姉娘の危機を救ったり……。最後に正体を明かしたダニエルの洗練された男っぷりのよさと、姉妹それぞれの反応がおもしろくって、読後感が爽快なのです。
あるいは、『混戦』のマット・ショア。ジャンボジェット機を操縦する花形パイロットだったマットは、ある事件で職を追われ、今は競馬場と競馬場を結ぶエアタクシーの操縦桿を握っています。
失意の日々を送るマットは、飛行機爆破事件をきっかけにチャンピオンジョッキーのコリン・ロスとその妹たちと知り合います。不幸のなかに幸福を見出し、快活さややさしさを失わないロス兄妹と交流するうちに、マットは一度は失った他人への信頼や愛情を取り戻していきます。その兄妹が保険金詐欺の陰謀の渦中にあると知った彼は……。
戦時中、空軍パイロットだったフランシスが書く操縦の描写がなんともカッコいい! 地上では「俺は人に踏まれ、泥拭いに使われるマットだ」と自嘲するほど不器用なマットが、空へ舞い上がったとたんに見せる匂い立つような男気。このギャップに惚れないヤツはいないと思うよ。
ほかにも、「勝ち馬予想システム」というコンピュータプログラムを敵の手から守ろうとする『配当』の理知的で冷静沈着な物理教師ジョナサンと行動的でワイルドなウィリアムの兄弟や、従兄弟を襲った不幸の原因となった絵画の秘密を追う『追込』の馬専門の画家チャールズ・トッド、嫌われ者の競馬写真家の遺品の写真の謎を解こうとする『反射』のアマチュアカメラマンのフィリップ・ノアなどなど。
みんな、なんらかのプロフェッショナルで、専門知識や会得した技術を武器にそれぞれの敵と相対していきます。一作ごとに職業も性格も社会的立場も違う、でも生き方も心意気もセリフもMan of Menな男たちが活躍するんだからたまりません! 一冊読めば、ハマること間違いなし!!
私が英国に興味をもったきっかけは、間違いなくK.M. ペイトンの「フランバーズ屋敷の人びと」シリーズ(岩波書店/岩波少年文庫)です。でも訪れる前から英国の空気や人びとの気質を多少なりとも理解していたのは、フランシスの「競馬」シリーズを読み込んでいたからですね。
事務所のフランシスファン仲間と「最近、新作見ないけど、ディック・フランシスってご存命だよね」とか、「息子のフェリックスとの共著ってことで『祝宴』が出てるよ」とか、「『審判』出たよ!」とか、「『再起』がついに文庫化!」とか、おりおりにフランシス情報を交換していました。もうそんな会話を交わす必要がなくなったことが寂しいです。
冒頭から引き込まれてしまう、スリリングな物語の数々。男くさい魅力を振り撒く主人公と、主人公との心のつながりがツボ直撃の恋人や友人たち。きっちり引導を渡したくなる悪役たち。マンネリと評されようとも、「だが、そこがいい!」と主張したい読後の清涼感。
馬のいななきが聞こえ、湯気が立つ体温まで感じさせる、競馬場や厩舎の描写力。それを駆使して描かれた英国の上流社会と下層社会、マスコミ界、ダイヤやワインの流通業界、パテントが絡む製造業界、諜報戦、絵画や不動産の取引などなど。その知識の広さと好奇心と探求精神の旺盛さに敬服しながら、自分の知識として吸収させてもらった、多種多様な「プロの世界」……。フランシス作品のチャームポイントは数えても数えてもキリがありません。
たくさんの印象的なヒーローをそのペンから生み出してくださって、ありがとうございました。これからもずっと、あなたの作品は私の愛読書です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
1月27日には、『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』のJ・D・サリンジャーが91歳で逝去されたんですね。そして、ディック・フランシス。20世紀がどんどん過去へ過去へと遠ざかっていくのを、ただ見送るしかないというのも心もとないかぎりです。
レイ・ブラッドベリにはがんばっていただきたいと思う、今日この頃……。
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