Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

萌えはここにもありました──『誰か Somebody』

 宮部みゆきの『誰か Somebody』(文藝春秋/文春文庫)を読了しました。ほかでも言われていることですが、著者の他作品に見られるストーリー展開の「切れ」のよさや、ぐいぐいと読者を引き込んでいく筆致の迫力がこの作品には感じられず、ちょっと残念。
 読んでいる途中で、「あ、もしかしたらこういう展開? いや、でもそれはあまりにやるせないだろう。もしそうだったとして、どう決着つけるんだろう」と思ったら、危惧したとおりに進んだうえ、なんともすっきりしない終わり方をしたのにもモヤモヤ。時間をかけてゲームを解いたら、いちばんそうなってほしくないBAD ENDに行き着いたかのような気分を味わいました。
 それでも、相変わらず、年配者の描写には眼を見張るものがあります。元は玩具会社の経営者で、現在は一線を退き、町の小さな玩具店を営んでいる友野栄次郎や、今多コンツェルンの総帥・今多嘉親(よしちか)といった、人生の酸いも甘いも知り尽くした老人たちに、なにより魅力を感じました。


 この今多嘉親と主人公・杉村三郎は、嘉親の娘と三郎が結婚したため、義理の親子関係にあります。巨大コンツェルンを一代で築き上げた嘉親は、若いころには「猛禽」とあだ名された人物でした。狙った獲物は必ず狩ってきたからです。80歳間近になっても、その凄みと頭脳の切れ味の鋭さは衰えを見せていません。
 その嘉親と愛人との間に生まれた娘は、生まれつき身体が弱く、父母の配慮もあってコンツェルンの経営には一切関わらない立場にいました。おかげで三郎も、娘婿とはいえ経営に関わることなく、ただ結婚の条件として提示された、嘉親直下の社内報編集部に勤務しています。
 と、ここまでふたりの関係を把握して、「あれ、これは私の『萌えシチュ』じゃん!」と気づきました。これに似た関係のふたりに、もう20年以上、どっぷりハマっているからです。


 ディック・フランシスの「競馬シリーズ」のなかでも気に入っているのが、シッド・ハレーが主人公の一連の作品です。一作ごとに主人公を変えるフランシスには珍しく、シッドを主人公にした小説は4作書かれているんですよね(4作目の『再起』(早川書房)が出ているのを知らずに、友人から聞いて「なぜ一年以上も気づかなかったんだーっ!」と落ち込んだのは、つい最近の話)。
 障害競馬のチャンピオン騎手から事故で引退せざるを得なくなったシッドは、失意のなか、誘われるままに探偵社に入り、そこで2年を過ごします。魂の抜け殻となっていた彼を目覚めさせたのは、1発の弾丸でした。自分を撃った弾に、英国各地の競馬場を閉鎖させて、宅地に変えようとする陰謀が隠されていることを知ったシッドは、愛する競馬を守るため、立ち上がります(第1作目『大穴』(早川書房))。
 シッドが騎手だったときに結婚して、今は別居中の妻ジェニィの父親、チャールズ・ロランドは英国海軍の退役少将で、通称「提督」。66歳には見えない立派な体躯と鼻につくほど優雅な物腰、なにより緻密な頭脳をもち、その緻密さに喜びを感じている人物です。ロランドがシッドと娘の結婚に反対したのは、娘婿に自分と同等の知性を求めたから。騎手という職業は、ロランドには知性的とは思えなかったのです。ある日、シッドとチェスをしたロランドは、負かされて、娘婿の並々ならぬ知能に気づき、それからふたりは無二の親友、実の親子以上の親子になります。なにせ、シッドが離婚してからも、彼らの親子のような関係は続くのですから。このふたりの思いやりと愛情と策略と腹の探り合いに満ちたやり取りがツボなんです(笑)。


 だから、嘉親と三郎のやり取りを読んだとき、顔がにやけるのを止めることができませんでした。「モエシチュ、キタコレ!」。特に(経過報告の義務があったにしろ)三郎がすべての終わりに、妻の待つ家ではなく、嘉親の元に行ったところで、もう、もう……。
 「唐突に、私の心の、未だに地図の描かれていない未開の地から、そこに棲む蛮族が雄たけびをあげるように、ひとつの思いが押し寄せてきた。いつか本当に、義父の生涯を綴った本を出したい。私がそれを作りたい。(中略)だから──長生きをしてください。紅茶に砂糖は二匙までにして。」(『誰か Somebody』P.445より引用)。
 どこよりも、ここに感動しました。正道から外れているかもしれませんが(笑)。私と同じ萌えツボをお持ちの方には、オススメです!

誰か―Somebody (文春文庫)

誰か―Somebody (文春文庫)


大穴 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12-2))

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