Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

三読目でハマった「萌えの宝箱」……『夏目友人帳』

 アニメ第一期が始まったときは、興味の大きさはアニメ>原作マンガでした。仕事でアニメについての紹介記事を書かなくてはならないという事情もありましたけどね。ところが、昨年9月にアニメ第一期が終わってから、俄然、原作マンガが気になるように……。20年ぶりくらいに「月刊 LaLa」を買っちゃったりしました。
 その作品とは、『夏目友人帳』(緑川ゆき白泉社 花とゆめコミックス)です。


 最初に原作コミックを読んだのは、仕事で関わる前。今市子の『百鬼夜行抄』(朝日ソノラマ朝日新聞出版)に似たマンガがあると聞いて、「それは好みのど真ん中に違いない!」と書店に行きました。当時、3巻まで発行されていましたが、2巻がなかったので1巻と3巻を購入。でも、このときはなんだかピンと来なかったんです。
 まず、キャラクターの立ち位置が『百鬼夜行抄』にかぶるのが気になりました。夏目貴志(夏目)が飯嶋律、夏目レイコが飯嶋伶(蝸牛)、ニャンコ先生(斑)が青嵐、名取周一が飯嶋開というぐあいに。加えて、画面に描かなければいけないところと描かなくていいところの選択、コマ割りによる緩急のつけ方に鈍いものを感じて、物語に素直に入れない。ストーリーは読み切りとしてまとまっているし、感動もできるのに惜しいなと思ったきり、本棚にしまってしまいました。


 その後、アニメ化決定。作品を雑誌で紹介するということで、5巻まで揃えました。ひととおり目を通したのですが、やはりハマれず。しかし、アニメの大森貴弘監督にインタビューした際、「原作を読んでいると、ちょっとしたひとコマに、ニャンコ先生のアップが描かれていたりするんです。…(中略)…『このニャンコ先生の表情の切り取りはなんだろう』ってすごく気になってきて……」(「Charaberrys Vol.5」P.32より)と言われて、「ああ、そういえば、『夏目友人帳』は夏目貴志の視点で物語が描かれているのに、夏目が気づいてなさそげなニャンコ先生の表情のコマが入るよなあ」と気づきました。
 そこでようやく、ニャンコ先生が夏目を見守ると決めたとき、そのベースには夏目の祖母であるレイコへの想いがあったことの裏付けが取れたのです。……私的な解釈のなかでの話ですが。
 1巻を読んだときになにより気になったのが、なぜニャンコ先生が「妖に名前を返す」という夏目につき合う気になったのかということだったんですね。「隙を見て『友人帳』を奪う」「隙を見て夏目を食う」「暇つぶし」「結界を破ってもらったことの御礼」という動機づけでは、「妖に名前を返せば、『友人帳』が薄くなる(=支配できる妖が減っていく)」というデメリットと引き比べたときに弱いなあ、と。「見届けよう」とニャンコ先生(斑)が言うまでのところで、描くべきなにかが抜けているんじゃないかと思ったことが、「この作品にはハマれそうにない」と感じたいちばん大きな理由だったのです。
 それがまあ、ニャンコ先生ったら、夏目がジタバタしているコマとコマの間でこっそり感情表現をしていたとは、奥ゆかしいったらありゃしない。そういう解釈で読み直すと、ドッジボール2個分の招き猫な体形に似合わぬニャンコ先生のロマンチストっぷりにくらくらキます。いやあ、甘酸っぱいなあ(笑)。


 で、アニメ第一期が終わり、仕事と関係なくなったところで腰を据えて読んでみたら、どっぷりハマッてしまったわけです。5巻を数えるうちに夏目の世界が広がって『百鬼夜行抄』の印象が薄くなったことも一因ですが、同時に夏目の心の動きがどんどんかわいくなっていくのがね……。もうキュンキュンですよっv
 そもそも、私、子どもが大人に守られるという物語は大好物です。親子や祖父母と孫といった「血縁関係もの」も好きですが、寄る辺ない子どもが赤の他人である大人に守られるというのに、すごく弱い。とっても弱い。それも、ひたすら庇護を求めるだけの弱い子どもではなく、なにかしらのポテンシャルを秘めていて、それがチラチラ垣間見える、本人は「守られたい」とはまったく思っていない、ちょっと生意気なくらいの子どもがツボです。口先と行動力は一人前だけど、経験値の低さからくる猪突猛進と迷走を遺憾なく発揮する子どもを、大人がフォローしてやるという図にたいへん萌えます。大人のほうは、積み重ねてきた経験の分、余裕をもって子どもにつき合える、大人らしい大人であることが条件です。


 作品中、ニャンコ先生は、夏目の言動に対して「阿呆」「またお前はやっかいなことに首つっこみおって」とは言っても、「お前は我がままだな」と返したことはなかったと思います。そこが好きです。他人の言動を「我がまま」と感じるのは、「自分はその言動を容認できない」ということですよね。「容認できないけど、我慢してやるんだ」という、自分基準の上から目線が働いている。
 夏目がなにをしても、それを受け入れて、必要なときにはフォローに入る。悪態をつきながらも、決して夏目に「我がまま」という言葉を投げないニャンコ先生に、私は理想的な「大人の余裕」を感じます。
 藤原夫妻も夏目に「我がまま」と言ったことはありません。でも名取は冗談に紛らわせつつ「我がままだなぁ」と言っちゃう(柊が代弁したりね)。名取、まだ23ですからね。
 たぶん意図されてのことだと思います。そういう繊細な言葉の選び方が好ましいです。


 幼いころから、目にしているものが人間なのか妖怪なのかわからないほど、はっきりと妖怪の姿を見てきた夏目(映画『シックス・センス』のコール・シアーの視界に近いとしたら、かなり怖い)。ふつうに見えるソレをふつうに口に出せば、周囲の人から「ウソつき」と言われ、親がいない寂しさから構ってもらいたくて怖いことを言うのだろう、親戚中をタライ回しにされて情緒不安定になっているんだろうと、冷ややかな目で見られ、いじめられ、忌避される始末。
 それまで引き取らざるをえない荷物として家から家に受け渡されてきた彼が、ついに出逢ったのが、「私たちの家に来てくれない?」と声をかけてきた藤原夫妻。生まれて初めて存在を望まれた夏目は、「藤原家では妖怪が見えることは言わない。夫妻を怖がらせるようなことは絶対にしない」と誓い、妖怪絡みの出来事に巻き込まれても「なんでもありません」とウソをつきます。それは学校でも同じで、妖怪の存在を感じてしまう田沼と先祖が陰陽師で妖怪にくわしい多軌以外の友人には、挙動を不審がられてもごまかしています。
 しかし、藤原家のある土地は、「友人帳」の元の所有者であり、妖怪に名を知られたレイコが住んでいたところ。今まで以上に妖怪に絡まれるはめになった夏目は、そろそろウソでごまかしきれなくなってきているようです。「何やってんだ」って北本と西村に怒られちゃいましたよ。


 昔はウソなんかついてなかったのに、「ウソつき」と言われた。今は妖怪が見えることと「友人帳」の存在を隠すためにウソをついている。しかし藤原夫妻や名取に心配されて「ウソをつくのか、この人たちに」と惑い、初めて友人にかばわれて「幸せなんだ。どうすればいいんだろう」と布団のなかで泣いてしまう夏目。カイの件では、離れて行く人の背中を追いたいと思うことのなかった自分は、仲直りの方法を知らないのだと愕然とします。
 孤独で頑なで自己否定ばかりだった夏目の心が、どんどんやわらかく広がっていくのが心地いいです。人のやさしさに驚いて、顔を赤らめて、素直な表情を見せた挙げ句に泣いちゃうような夏目がほんとにかわいい。

 一方、拳ひとつで妖怪を退けてしまう、レイコ譲りの強力な妖力と、妖怪たちを支配できる「友人帳」をもつ夏目は、妖怪祓いを生業とする呪術師たちのリーダー的存在である的場に目をつけられたようで、こちらの展開も目が離せません。


 とりあえず7月3日発売予定の『夏目友人帳』8巻は、文化祭でおめかしする夏目や友人たちに囲まれて幸せな夏目や田沼のために奔走する夏目がいっぱいで、夏目と藤原夫妻の出逢いもあって(たぶんそこまでの話が収録されるはず)、キュンキュンすること間違いなし。もちろんニャンコ先生の中年妖怪的な魅力もむんむんなので、みんな、買えばいいと思うよ! ほとんどの話数を「LaLa」で読んじゃった私も買いますとも。2話分ほど買い逃してるし orz。
 ずいぶんな回り道をしてハマッた『夏目友人帳』。一読して「ツボと違う」と思った作品も、再読してみれば、案外「萌えの大漁船」だったりするかもしれません。


夏目友人帳 8 (花とゆめCOMICS)

夏目友人帳 8 (花とゆめCOMICS)