Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

腑甲斐ないファンでごめんなさい……『XAZSA(ザザ)』

 仕事で資料として必要な雑誌のバックナンバーを探すために、渋谷のまんだらけと池袋のまんだらけK-BOOKS、ついでにアニメイトを回りました。BLゲーム系の雑誌に関しては、池袋のK-BOOKSが揃っているし、値付けも安いと学習。またの機会があれば、池袋の乙女ロードに直行だ! メモ代わりに書いておく。


 渋谷のまんだらけの近くにある古書店にもダメ元で寄ってみたら、探しているものはありませんでしたが、若木未生の『XAZSA メカニックスD』(集英社コバルト文庫)を発見しました。うわあ、出てたんだーっ! 奥付を見たら、2000年6月の発行。時期的に絶版になってる可能性もあるので、即確保。105円だもの。書店で見かけたときに買い直しても惜しくない値段です。
 シリーズものがほとんどの若木氏の作品のなかで、「ハイスクール・オーラバスター」シリーズを長らく追いかけていました。水沢諒くんが好きで好きで……。過去形なのは、徳間書店デュエル文庫から出た『オーラバスター・インテグラル 月光人魚』を買い逃したからです。いつの間にやら出版されて、いつの間にやら絶版(重版未定)に。外伝とは言え、なんてこったい orz。

 でも、若木作品のなかでいちばん好きなのは短編連作の『XAZSA』なんです。ですから、久しぶりにザザ野ザザ太郎ことXAZSA(ザザ)や京平さん、真砂くん、シグマ、ゼロ、お嬢の物語を読んで、長く会ってなかった旧友に街で偶然再会したような、懐かしくもうれしい気分になりましたv 京平さんじゃないけど、「ひどく遅くなってごめん。俺は腑甲斐ないダンナで、二年も君を置き去りにしたけれど」(2年どころじゃねーっ!)なんてね。


 ギターを弾けなくなったギタリスト・早水京平が夜の都会で出会ったのは、「人間になりたい」と願う機械人間(マシノイド)、ザザだった。
 現代版『ピノキオ』か「ピグマリオン」かという感じですが、物語自体がふんわりと手のひらで撫でられるようなやさしさに満ちていて、なにかが癒されたような読後感があります。
 みんな、だれかのためになにかをしたいと思う。それぞれに想う人がいて、その人のために自分を変えようとまで思いつめて、でも一途すぎる想いはすれ違い、哀しみが生まれる。
 若木未生という作家は、現代の「寂しい若者」を描写するのがうまいと思います。自分が言ったことや行なったことを、自分だけの判断で「よかった」「悪かった」と決めつけてしまう。「自分が!こうしたからよかったんだろう」「自分が!こうしたから悪かったんだろう」。それを言われた、あるいはされた相手がどう思ったかを尋ねて確認することもなく、「こうしてやったんだから、あの人はうれしいはずだ」と独善的な満足感に浸ったり、全能感を抱いたり、「たぶんあの人はこう思っただろう」「自分のこと、嫌いになっただろう」「許してくれないだろう」と自己嫌悪・自己否定の深みにはまっていったり。まさにコミュニケーション不全と自意識過剰がつくりあげた、世界に<自分>しか存在していない「寂しい若者」たちが、彼女の作品には姿を変え、かたちを変え、多く登場します。


 「ハイスクール・オーラバスター」シリーズでは、それが時空を超えて続いてきたトラブルの根源だったりするので、相手を思いやる気持ちのなかに「自分さえ犠牲になれば」「あの人の幸せこそ、自分の幸せ」という、突き詰めれば自己満足に帰結する感情がある以上、真の解決は遠いものに思われます。
 「オーラバ」に関しては、若木氏自身がたいへんな深淵にはまってしまったんじゃないかと、ひそかに思ってるんですけどね。「世界は不完全だから美しい」というところで、バランスを保っていくしかないんじゃないかな、とか。


 『XAZSA』においては、突っ走る少年少女の独り善がりの思い込みや自意識過剰をへし折る人物が登場します。生活能力ゼロで、職業不定で、元家出小僧で、自分の「魂」であるギターを弾き続けるためなら人を泣かせても平気とうそぶく自称「冷たい人間」で、心に深い傷を負っている早水京平こそ、その人。この世に誕生して3年のザザとか、誕生したばかりのシグマとか、11歳の天才少女とかは、この飄々としていて、軽口が達者で、めったに本当の感情を見せない20代の青年にかかっては、ひとたまりもありません。主張は論破され、隠していた、あるいは気づかずにいた気持ちをきれいにすくい上げられてしまいます。
 こんがらがってしまった人間関係も、部外者の立場で見渡せば、もつれた根っこが見えてくるもの。そこをきちんと指摘して、真の想いに気づかせることができる京平の言葉がいちいちカッコイイですv
 そうしてお子サマたちを諭すうちに、京平自身も自分の心の傷を癒していくところが最高にいい。失ってはいけないものを失った哀しみばかりで、自身も他人も見失っていた彼が、義弟の真砂や音楽仲間たちに見守られていることに気づいて自分の存在意義を取り戻し、ザザやシグマに慕われて「人間とはなんなのか」を考えるようになり、最後には失っても失えないものの存在に気づく。彼の再生の過程は、人間同士の思いやりと語らいこそが人を生きさせてくれるのだと、そっとささやくように教えてくれます。


 特に『XAZSA ver.2』のクライマックスは、もう「できすぎ!」っていうくらいに快感です。初めて読んだときは、「これぞ小説の醍醐味だよ!」って思わず心のなかでスタンディングオベーションしちゃいました。
 『XAZSA』は、人間になりたい機械人間の物語というSFの体裁をとってはいますが、「寂しい若者」たちに「それでいいの? 自分の気持ち、言わなきゃわかってもらえないよ。相手の気持ち、聞かなきゃわかり合えないままだよ」と問いかけている現代小説のような気がします。


 ライターの仕事については「我が前に人なし、我が後に人なし!(>ダメじゃん)」と断言しますが、趣味の創作のほうではわりと宮部みゆき若木未生に影響を受けちゃってます。ちょっと悔しかったりするんですけどね。


XAZSA ver.1 (XAZSAシリーズ) (コバルト文庫)

XAZSA ver.1 (XAZSAシリーズ) (コバルト文庫)