Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

夏の星座のもとで読むマンガ版『銀河鉄道の夜』

 7月1日、集英社から「マンガで読む文豪作品」というキャッチフレーズで文庫本サイズの「MANGA BUNGOシリーズ」が創刊されました。日本の近代文学をマンガ化した書籍はすでにいくつか存在しますが、このシリーズがすごいのは、すべて描き下しマンガで7月、8月、9月、10月と毎月10冊ずつ一挙に刊行されること。
 たとえば7月1日に発売された第1弾は、太宰治の『人間失格』(マンガ:伊藤チカ)、『走れメロス富嶽百景』(マンガ:高芝昌子・井沢まさみ)、野坂昭如の『火垂るの墓』(マンガ:三堂司)、林芙美子の『放浪記』(マンガ:三原陽子)、森鴎外の『舞姫』(マンガ:藤丞めぐる)、夏目漱石の『こころ』(マンガ:吉崎凪)、『坊ちゃん』(マンガ:大倉かおり)、芥川龍之介の『藪の中・羅生門』(マンガ:坂本久作)、『地獄変』(マンガ:未浩)、そして宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(マンガ:北原文野)。まさに「この文豪ならこの作品!」のラインナップです。


 2007年、『人間失格』の文庫本の表紙イラストを『DEATH NOTE』の漫画家・小畑健が描き下ろして大ヒット! 2008年には『こころ』『地獄変』を再びの小畑健、『伊豆の踊子』を『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦、『汚れつちまつた悲しみに……(中原中也詩集)』を『テガミバチ』の浅田弘幸が描き下し。さらに去年には『地獄変』『堕落論』を『BLEACH』の久保帯人、『走れメロス』を『テニスの王子様』の許斐剛が手がけました。
 人呼んで「お固い文学作品の表紙イラストを『ジャンプ』の人気漫画家が描いたら売れちゃったシリーズ」。今年の「集英社ナツイチ2010」では、『銀河鉄道の夜』『汚れちまつた悲しみに……』(新装版)を浅田弘幸、『たけくらべ』を『いちご100%』の河下水希、『シャーロック・ホームズ傑作選』を『D.Gray-man』の星野桂、『十五少年漂流記』を『ZETMAN』の桂正和が描き下ろしています。


 文学作品とマンガとの親和性を見せつけてくれた集英社から、いずれ文豪の諸作品のマンガ版が発売されることは想像に難くなく、今回の発売は満を持してというところでしょうか。


 その「MANGA BUNGOシリーズ」から宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読みました。マンガを担当するのは、『夢の果て』『瞳に映るは銀の月』など、虐げられる超能力者を主人公にした「Pシリーズ」を代表作にもつ北原文野です。
 実は、この作品を読むまでにかなりの葛藤がありました。
 まず、私は小説のマンガ化作品は基本的に読みません。漫画家が原作に殊更に思い入れてマンガ化したものでないかぎり、特にこういう「日本文学の紹介」といったスタンスのマンガ化は、単なる小説のダイジェストになりがちで、小説のよさが伝わらないまま筋書きだけわかってしまうという中途半端なものに感じるからです。
 また、『銀河鉄道の夜』は私の聖域のひとつで、イメージが固定化されてしまうような画像・映像はできるだけ目に入れたくないと思ってきました。特にジョバンニとカムパネルラについては、挿絵にもその姿を描いてほしくないほど。私の頭のなかでも、この二人は容姿をもたない、影のような存在なのです。
 さらに、1985年に公開された劇場版アニメ『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』が私にとって「神アニメ」で、ジョバンニたちの住む町や郊外の景色、ケンタウル祭のようす、銀河鉄道の窓外に現れては消える風景……ジョバンニとカムパネルラ以外のイメージは、すべてこのアニメ映画に描かれたヴィジュアルに拠っています。だから、アニメの映像から離れた絵を見ると、間違いなくマイナス方向に違和感を覚えるだろうなという予感がありました。


 では、なぜ北原文野版『銀河鉄道の夜』を手に取ったか。それは、内向的な少年の感情や行動の描写と「せつなさ」の表情表現に魅力があり、繊細な線で描かれる西欧風の風景が独特の世界観をつくりあげている北原氏のマンガと『銀河鉄道の夜』が融合したら、どんな「絵」になるのか、興味があったからです。
 不安半分、好奇心半分でコンパクトな文庫サイズの本を開き……うん、普通におもしろかった。


 いちばん不安だったジョバンニとカムパネルラの容姿は、「ああ、こんな感じかもしれないな」という納得の造形。北原氏の描線の繊細さが幸いして、押しつけがましさがないところがいいです。マンガを読んでいる間は二人はこの姿だけれども、原作小説を読むときにはまた影の存在に戻ってくれるのが、私にはたいへんありがたい。
 街なかの建物は西欧風、郊外の景色は岩手の農場を彷彿させる背景の設定もほどよく現実感があって、自然に物語世界に入ることができました。
 銀河鉄道に乗ってからの窓外の風景も「現実にありそうな風景」から乖離することなく、そこが北原版『銀河鉄道の夜』の「いいところ」なのかなと思います。原作小説を知っている者から見ると、幻想世界であるはずの銀河の風景が現実的に描かれていることに物足りなさを感じるのですが、初めて『銀河鉄道の夜』に触れる人にとっては、日常から逸脱した風景が展開されるのも戸惑いの元になるでしょう。
 むしろ、現実世界の風景も、銀河鉄道に乗ってからの風景も、同じタッチ、同じ視点、同じ次元で描かれているところが、北原版『銀河鉄道の夜』の特長と言えるかもしれません。


 ただ、やはり原作小説のダイジェストになっているところは、仕方がないとはいえ、少々残念なところ。ページ数に限りがあって原作小説のすべてを描くことは、しょせん不可能。であるならば、もう少しジョバンニとカムパネルラの、二人の心の動きに焦点を当てて構成してもよかったかも。
 二人の父親が友人同士だったこともあって、小さい頃から仲が良かったジョバンニとカムパネルラ。しかし、北の海に漁に出たまま消息を絶った父親の代わりに、朝も放課後も働いて家計を助けるジョバンニは遊ぶ暇がなく、父親が密漁で捕まったという噂もあって級友たちと疎遠になります。クラスでただひとりジョバンニを気づかってくれるカムパネルラも、遊ぶのは級友たちといっしょ。放課後、バイト先の印刷所へ急ぎながら、ジョバンニはカムパネルラを級友たちに取られてしまったような、寂しさに心を痛めます。
 だからこそ、銀河鉄道でカムパネルラと再会し、二人だけで旅ができると知ったとき、ジョバンニは飛び上がるほどうれしかったんですね。ずっと願っていたカムパネルラと友だちとして語らえる時間を邪魔されたくなかったから、隣りに座ってきた鳥捕りをうっとおしく思い、途中から乗ってきた女の子と仲良く話すカムパネルラに拗ねてしまいます。
 一方、カムパネルラはたぶん最初はジョバンニも自分と同じような事情で銀河鉄道に乗り、同じところまで行くと思っていたでしょう。でも検札でジョバンニの切符が自分とは違うもので、「どこまででも行ける」通行券と知り、そこでおそらくジョバンニと自分の間の齟齬を感じます。
 「カムパネルラとどこまでも行く」。それがかなわないかもしれないという不安を小さく抱えつつも、二人でいられる喜びに胸いっぱいのジョバンニ。
 「別れるべきところで、自分たちは別れなければならない。もはや同じ道をどこまでも行くことはできない」。結局、死という闇へはひとりで行くしかないのだと覚悟を決めたカムパネルラ。
 この二人が銀河鉄道に乗り合わせたのは、健気なジョバンニへの贈り物だったのか、それとも自分を犠牲にして人を救ったカムパネルラへの慰めと救済だったのか。


 そこから紐解いていけば、深く描かなければならないシーン、1コマで終わらせてもいいシーンの取捨選択ができて、物語がぐっと身近なものになったのではないか、と、これはシロウト考えでしょうか。
 鳥捕りを、なぜジョバンニもカムパネルラも邪魔に思ってしまったのか。なぜカムパネルラが女の子と親しく話したのか。なぜそれを見たジョバンニが哀しくなってしまったのか。そして、なぜジョバンニの「どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのサソリのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」という言葉を聞いて、カムパネルラが涙を浮かべたのか。
 一本の線でつながりそうなところが微妙にぼけてしまっていて、「ああ、もう一歩踏み込んでほしい〜」なんてちょっともだもだしてしまいました。


 あと、やはり灯台守は年老いていてほしかった。あの「なにがしあわせかわからないです」のセリフは、年齢を重ねた人が言ってこそ説得力があると思います。というか、銀河鉄道にはもっと年寄りが乗ってないと!(笑)
 それと、船が沈むときとカササギの森から聞こえてくる合唱の「讃美歌三〇六番」(讃美歌三二〇番)は、歌詞を出してもよかったのでは……。
 「主よ、みもとに 近づかん
  登る道は 十字架に
  ありともなど 悲しむべき
  主よ、みもとに 近づかん」
 この讃美歌があってこそ、灯台守の「峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」の言葉が生きてくると思うんですけどね。


 と、まあ、こんなふうに、『銀河鉄道の夜』は、個人的な思い入れや解釈をもっている方がたくさんいる作品です。ディープでマニアックなファンが多いと言ってもいいでしょうか。ですから、北原氏が『銀河鉄道の夜』をマンガ化すると知ったとき、「うわあ、またいちばん難しい作品を……」となぜか私が頭を抱えてしまった次第。でも、完成したマンガ版を見れば、原作に忠実に、ひじょうにニュートラルな見地から描かれていて、初めて読む方に向けてなら、このかたちが最上だったかもと思えます。


 原作小説を知っている方も、知らない方も、白鳥座、鷲座、琴座が真白き「夏の大三角」を描き、蠍座の赤い星アンタレスがひときわ美しく輝く夜空のもと、ほんわかせつない北原文野版『銀河鉄道の夜』を読まれてみてはいかがでしょう。



「『マンガで読む文豪作品』ホーム社MANGA BUNGOシリーズ」サイト
http://www.shueisha.co.jp/home-sha/manga/bungo/index2.html


第一弾10冊(7月1日発売)リスト
http://www.shueisha.co.jp/home-sha/manga/bungo/bungo.html


集英社文庫「世界をめくろう。 ナツイチ2010」サイト
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/

銀河鉄道の夜 (ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ) (ホーム社漫画文庫)

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銀河鉄道の夜

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