Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

私的「神アニメ」、『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』はここがすごい!

 それは闇を切り裂いて出現した風景。夏の午後2時の陽射しを浴びて、青空の下、はるかに広がる緑のなかに黄色が際立つトウモロコシ畑。その空間にひそりと現われたプラットホームの上空には、古びた大時計。左右に大きく揺れる振り子が、ゆったりとしかし厳粛に時を刻む。
 明るい光は客車のなかにも充ち満ちて、乗客たちはゆるゆるとした微睡みに沈む。彼方に湧き上がった音は、どこかなつかしい調べとなり、鼓膜をくすぐる。その曲、アントニン・ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」。


 1985年に劇場公開された杉井ギサブロー監督によるアニメ映画『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』。そのなかで特に忘れられない映像が、「新世界交響楽」のシークエンスです。
 カッチカッチと時を刻む振り子の音が聞こえるにもかかわらず、時間が止まったように感じる、まさにエーテルに包まれたようなやわらかな重みのある静寂。大きな緑の葉に包まれたトウモロコシの実の、まるでフィンセント・ファン・ゴッホのひまわりの黄色のような鈍い鮮やかさ。青い空と緑と黄色のトウモロコシ畑の三元の色の境目からまるで雲のように湧きたってくる「遠き山に日は落ちて」、もとい「新世界より」第2楽章ラルゴ。
 それは、「夏の午後の静謐」と名付けたいような一枚の「絵画」として、劇場で観たときから25年が経った今も私のなかでひとつの原風景になっています。


 『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』は、まずVHSで購入し、次にDVDに買い換え、おりおりに鑑賞している、私にとっての「神アニメ」。
 なにがいいかって、まずはその世界観を決定づけている、イラストレーターの塚本馨三と馬郡美保子(まごおりみほこ)による背景美術! 現実にありそうでなさそうな、確かな存在感があるのに、夢のなかの風景のような危うさを感じるところは、ルネ・マグリットの不可思議な風景画のよう。街角に人の気配があるのに、建物や自然物が織り成す光と影と色がしんとした生命のない無音を奏でるさまは、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画のよう。
 闇のなかで光に照らされて浮かぶススキの穂、それ自体が小さな炎を抱えた紫水晶のランプのように輝くリンドウの花。化石化したプリオシン海岸と、120万年という時間に押しつぶされていく白鳥座の町。打てば響くような沈黙と影に無気味に沈むアルビレオの観測所。そして先述のトウモロコシ畑……。
 アナログならではのやわらかなタッチの背景画に、星座を形づくる一等星、二等星、三等星を表わす三角標が現れては消える。その三角標の大胆な解釈……デジタルっぽく図形化された光による演出がまたすばらしい!


 もともとイマジナティブな原作小説について、ここまでイメージを広げることができるのか、ここまで表現できるのかという、想像力の限りのなさを教えてくれる映像。
 さらに耳から不可思議な現象を構築してくれるのが、イエロー・マジック・オーケストラYMO)を「散開」した細野晴臣の音楽。絵で描かれた「幻想第四次」の世界を、より「知っているようで知らない、懐かしさと同時に初めての驚きを感じる、身近にありそうなのにこの世ではあり得ない」空間へと昇華させています。
 小説という表現方法のなかで、ここまで音の描写にこだわった作家は少ないんじゃないかと思われる宮沢賢治。細野氏のエキゾチックでエスニックな「宗教や民俗学など神秘的な趣味」(wikipedia)が遺憾なく発揮された音は、きっと賢治の耳にかなったに違いないと思える。それほどに原作小説と合わせて聞いても違和感のない、完成度の高い曲の数々。
 この2点だけで、『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』は充分に魅力的なのですが……。


 ストーリーについては、賢治が物語にこめた思いを大切に拾いつつ、かなり大胆なシーンの取捨選択がされています。
 特に注目すべきは、「讃美歌三〇六番」(讃美歌三二〇番)の扱い。アニメオリジナルの通信技師が雑音だらけの「三〇六番」の歌詞を耳にするところから、中盤のクライマックスが始まります。原作小説では「パシフィック」「氷山」というキーワードで連想を促すタイタニック号の沈没を劇中劇のように描き、実際にあったエピソードである、沈没時に歌われた「三〇六番」をここで流すことで、灯台守の「ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」という言葉につなげる、怒涛のち静寂の展開。
 このとき青年と灯台守の間で交わされた「死生観」は主題となり、蠍の火のエピソード、そしてカムパネルラの涙とジョバンニの「僕はもう、あのサソリのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」というセリフにリフレインされていきます。
 音がつけられる映像作品ならではの演出ですね。『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』において、「讃美歌三〇六番」は、その美しい旋律と死の悲哀を神のもとへ行く喜びに転化する歌詞の両方で、「銀河鉄道」という存在のテーマ曲になっているように思います。


 そして、なにより私にとってよかったのは、タイタニック号から銀河鉄道に乗ってきた青年と子ども二人以外は、みんなネコの姿をしていること! これは、ますむらひろしが描いたマンガ『銀河鉄道の夜』を原案にしてるからですが、おかげで登場人物のイメージが固定化されずにすみました。
 もしジョバンニとカムパネルラが人間の姿で描かれていたら、それがどんな姿だったとしても「なんか違う」という気持ちがつきまとって、アニメ版はもちろん、原作小説も楽しめなくなっただろうと思うのです。
 劇場公開されたときは賛否両論あったそうですが、私はネコで正解だったと、とてもありがたく感じています。


 エンディングの常田富士男の朗読による、賢治の詩集『春と修羅』の「序」の一節に到るまで、原作についての熟考と映像化するうえでの計算が行き届いた作品。ここまで原作について研究されたアニメ化作品は、最近では細田守監督の『時をかける少女』くらいかなというところで、『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』は私にとって稀有なる「神アニメ」なのです。

銀河鉄道の夜 [DVD]

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銀河鉄道の夜

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