『009 RE:CYBORG』はアニメ最高峰の3D体験と形而上学的なラストに頭脳が揺すぶられる不思議映画
『009 RE:CYBORG』は70年代SFを感じる映画でした。「レミング現象」と「(表象的な)胡蝶の夢」かあ。さて、「サイボーグ009」シリーズで未完の「天使編」「神々との闘い編」に一応の決着をつけることが、「終わらせなければ、始まらない。」の真意だったのでしょうか。
解説本とか映画パンフとか読まずに書きますが(笑)、個人的最大の謎は「なぜ最後がヴェネチアだったのか」。あれがドバイで、002、007、008が水の上、ギルモア博士らが地の上にいるなら、さらには003が水上を歩かずにいてくれたら、まだ少しは着地点が見えたような気がするんですよね。
あのヴェネチアの唐突っぷりには、「従来のアニメではできなかった水の描写が、3Dアニメならここまでできたと見せつけたかったから?」とか穿った見方をしてしまいました。実際、すばらしい描写でした。
ほかにも、009の加速中の描写や戦闘機との空中戦の模様、都市の風景まで、3Dアニメの最高峰がここにあります。水飛沫や火の粉以外はほとんど手前に飛び出すことなく、むしろ画面の奥へ奥へ深度が広がる立体化で、目も頭も疲れなかったのが計算されているなあと感じました。
003もエロくなってるしね! モーションの一瞬の停滞や手足の動きのぎこちなさまでがエロさに直結。スカートの裾の動きから下着の描線まで、どれだけのこだわりやと別の意味で感心しました(笑)。
日本のアニメのひとつの到達点として意味を持つ作品だと思います。ただ、物語は……。
「たら」「れば」を言っても仕方がないのですが、記憶消去など無用な設定で、ただメンバーの中で「彼の声」を聞いた者が009と002、008であればよかった。「彼の声」により、正義感が強く単純思考の002は国防総省に組し、現実と理想の間で揺れる少年の心を持つ009はテロを計画し、008は冷静な知識欲でその正体を突き止めようとする、でよかったんじゃないか。007が002のギルモアからの離反を「彼の声」のせいかと疑って会いに来るとか。女子高生や金髪碧眼の少女ではなく、009にとってはギルモアが、008にとっては有翼骸骨が、「彼の声」の具現とか。そんなふうに整理することもできたんじゃないか。
現実世界に対して「このままでいいのか」と疑問を持つ者に「彼の声」を聞かせた黒幕が、ブラックゴーストを継いだネオネオブラックゴーストとかじゃダメだったのか。
3Dアニメの現実的な世界観に形而上学的なラストとは、異空間に放り出された気分になりました。
あと、ずっと脳の片隅で押井守監督の『イノセンス』が同時上映されているという不思議体験もしましたよ。
『009 RE:CYBORG』サイト:http://009.ph9.jp/
【本予告編】 映画『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009):http://www.youtube.com/watch?v=sn3vIDw3fPY&list=PL6uaYhIvfncBTQhY18xPkXFPUT7LCWj40
『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)製作発表PV:
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