Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

TVドラマ『HiGH&LOW』Season1 スモーキーという現象



 以下はTVシリーズ放送後、劇場版シリーズ公開前あたりに書いた感想文の改稿です。TVシリーズSeason1のスモーキーについてしか語っていません。

 TVシリーズのネタばれありです。未見の方はご注意ください。





 午前1時過ぎというと、原稿書いたり、ネットしたりしている時間帯。テレビをつけて、BGM代わりに音声だけ背中で聞いていることが多く、『HiGH&LOW THE STORY OF S.W.O.R.D.』もたまたまその時間に流れていた“音”に過ぎませんでした、最初は。



 忘れもしない、第6話。ワチャワチャ聞こえていた音が急に静かになって、ホラーめいた曲が流れ出して……「あれ? 番組、変わった?」と振り向いたら、ダンジョンみたいな廃工場っぽいところを若い女性が歩いているところでした。立ち止まった彼女が眼差しを向けた先に、現われたのは炎に照らされたモッズコートの集団。

 オープニングで窪田正孝が出演することはわかっていましたから、「ああ、やっと出てきたのか」と思いました。



 エピソード・タイトルを挟んで、Aパート。映し出されたのは、スモーキー・マウンテンとまでは言わないけど、「どこの国?」みたいなスラム街と汚泥に塗れ、貧困に囚われた人々。“蠢(うごめ)く”という言葉どおりにうごうごしている彼らから、切り替わったカメラにインしたのは、目を閉じた青年の横顔。その切り替えの間(ま)の短さと目を閉じて何かを聞き、感じ取っているような青年の表情の静けさに、彼は住人たちすべてを脳内に掌握しており、常に彼らの音を聞いているのだと感じられて、なんて雄弁なカメラワークと佇まいの演技なんだろうと思いました。スモーキーという人物の有り様が、この切り替えのシークエンスだけで語られてしまっていたのです。



 さらに、彼が徐々に目を開いていくところでは、『ネバーエンディング・ストーリー』の「第一の門」を思い出しました。門の左右に立つスフィンクス像の目はいつもは閉じていますが、自分に自信のない者が通過しようとすると、目が開き、光線を放ってその者を殺します。開いていく目に、そんな危険を感じました。

 この印象は当たらずとも遠からずだったようで、スモーキーは好戦的になると、目の開きが大きくなって、黒目が目立って見えるんですよね(瞳孔が開く感じ)。



 子どもたちを売買する取引現場に音もなく集まり、見下ろすRUDE BOYS(以下、ルード)のメンバーたち。リーダーに何も言われなくても適切なタイミングで動き、彼の視線ひとつで了解するチームのさまに、今までのチームにない緊張感を覚えました。



 ほとんど口は開いていないのに、低く響く声。静かに、いっそ穏やかに「勝利者も敗残者も、夢をもって産まれ、生きている、同じ人間だ」と語り、それが否定されたとたん、裁きを下す重い口調でひと言、「だったら、お前は助からない」。「ああ、やっぱり、この人は(人品を計る)スフィンクスの門だー!」と思いましたよね。

 襲いくる敵に瞬時に反応するスモーキーとタケシ。その静から動への展開の鮮やかさ。そして、スモーキーはじめルードメンバーのアクロバティックな戦闘の連続には、ただただ見入るばかりでした。

 パルクールブレイクダンスといったエクストリームなアクションが次々披露されるなか、タケシやピーほかルードメンバーひとりひとりの動きの個性が際立っていて、性格までわかる気がしました。

 なかでも、妖艶にさえ思える魔的な笑みを浮かべながら余裕で敵を蹴倒し、一瞥で仲間たちの戦況を把握するスモーキーのリーダーぶりときたら! 特に視線の動かし方が速くもなく遅くもなく、戦い慣れていて何事にも動じない、敵には容赦しないが、味方のことは常に気にして見守っている、そんな人物像を物語っていて、ずっと彼の目元を追っていた気がします。





 第7話では、チハルを捜して無名街に侵入したヤマトをルードのメンバーが広場に追い込むさまに、ワイドレンジフォーメーションが可能な統制の取れたチームという印象を強めました。

 山王連合会が守ろうとしている商店街は、店舗や土地を所有、あるいは賃貸して住んでいる人ばかりなので、潰すには潰す側が土地を買い上げるか、犯罪行為を行う以外にありません。White Rascalsは、敵の襲撃はクラブ「HEAVEN」に集中するため、本拠地を守りさえすればいい。それは鬼邪高校、達磨一家も同様です。

 ところが、ルードの守備範囲は、戸籍の有無さえあやふやな身元不明の住人たちと誰も住む権利を持っていない土地。殺されても、警察が捜査しないなら犯罪にならず、重機で住処を壊され、追い出されても、文句さえ言えない。守れるか守れないかが生死に直結するだけに、ルードはG-SWORDの中でも随一の軍隊並みの指揮系統と結束力を持たざるを得なかったんですね。

 そうして彼らが守っているものは、たとえば官憲力が押し寄せれば、明日にでも無名街が無人街になってしまうほど、儚い。実のところ、人々の生死を担う必然的存在であるが故に、G-SWORDで最強であるはずのチームが守るもの(無名街)は、明日をも知れぬ、G-SWORD最大の弱点でもあるのです。

 スモーキーの病気は、最強なのに最弱という、ルードと無名街の関係を体現しているように思えてなりません。



 それにしても、「よう、ヤマト」と親しく声をかけながら、ヤマトが「てめえの妹、連れてこい」と言ったとたん、敵認定して華麗なるとび蹴りを食らわすとは。その後のヤマトとの一騎打ちでは、ヤマトの大振りとはいえ力のこもった拳をスピーディーにかわす、その身体のしなりぐあいに「身体、やわらかいなあ」と感心。

 ヤマトと手合わせするスモーキー、ちょっとうれしそうなんですよね。強い相手を見ると勝負したくてうずうずっとなるところ、彼もまぎれもなくSWORDの頭のひとりなんだなあ(笑)。

 ララを守るためとはいえ、スモーキーもルードメンバーも本気でヤマトやダン、テッツに大きな怪我を負わせるつもりはなかったと思います。3人を再起不能にしたら、山王連合会と本気で事を構えることになりますから。ただ、スモーキーの吐血に動揺したとはいえ、ヤマトたちを追いきれなかったのはルードメンバーの失態ですね。3人のなかに頭脳派ひとりもいないのに……。





 第8話では、そこそこ規模があるレッドラムの工場の存在を、スモーキーがまったく察知していなかったことに驚きました。どうやら、ルードは無名街をいくつかのエリアに区切って幹部たちに振り分け、監視や管理を一任しているようですね。実際、無名街は広いうえに入り組んでいるので、スモーキーがすべてを把握するのは無理でしょう。だから、むしろスモーキーが工場の存在に気づいてなかったことが、彼のシオンやルードメンバーへの信頼の深さを物語っているのだと解釈しました。

 あと、シオンがレッドラム製造に手を染めたきっかけが知りたいですね。G-SWORDでは麻薬はご法度。スモーキーの病気の進行を食い止めるため早くまとまった金が必要だったとはいえ、スモーキーが禁じている麻薬に手を出すとは、シオンと家村会の関係を疑っちゃいます。





 第9・10話は、やはり「SWORDの頭たちの揃い踏み」ですね! チームものの醍醐味といいますか。登場の仕方もチーム色が濃厚に出ていてよかったです。

 第9話で、山王連合会はコブラとヤマトを欠くものの、ダンをはじめカニ男やチハルも含めた“仲間たち”がわらわらわらーっと達磨一家に向かっていく。やはり日向を欠く達磨一家は、右京・左京を中心に加藤の太鼓によるフォーメーションでダンたちを翻弄する。個人戦の山王連合会と団体戦の達磨一家の違いもさることながら、スローモーションでの個々人の戦いぶりがマンガみたいにデフォルメってて、ユニーク。ワイドレンジの画角に、映画の画面を観ているような気がしました。

 地面に達磨一家の法被が累々と転がり、山王連合会優勢かと思いきや、日向の声ひとつで彼の歩みの背後でむくむくと起き上がるゾンビのような達磨たち(笑)。艶っぽい流し目をくれながら気怠そうに歩み寄ってくる日向とゾンビ達磨たちに、思わず腰が引ける山王連合会。ヤクザ一家の四男坊・日向のカリスマ性を思い知らされた場面でした。

 そこにハーレーに跨ったコブラとヤマトが登場! エグゾースト音で注目を集めるのが、いかにも元「走り屋」ですね。



 第10話は「戦わない」コブラと「戦いたい」日向のやり取りが見ものですが、それをわざわざ観戦しにくる残り3チームのリーダーと幹部たちも見ものです。

 White RascalsのROCKYはKOOと共にビッグスクーターで登場。意外にせっかちなのか、KOO以外の幹部たちを引き離して到着した模様(笑)。常と変わらぬ余裕たっぷりの態度ですが、達磨一家の襲撃に報復する気満々です。ROCKYが話している間に合流した幹部の皆さんは、まさか走ってきたのでしょうか。お疲れさまです。

 鬼邪高校の村山はゆらゆらペタペタ、歩いているだけなのに存在自体がなんだか騒がしい。背後には高校生に見えない高校生の幹部の面々が横並び。村山が言い放った「達磨への借りはしっかり返させてもらう」というセリフ、「達磨」が微妙に巻き舌で、とても好戦的に聞こえます。

 ガラスを叩く音に見上げれば、いつの間にか物音ひとつ立てずにバルコニーに陣取るルードのメンバー。王城のバルコニーに貴族たちが参集し、王の御出座を待つ風情の彼らは、地上の皆にも「我らがリーダー」のお出ましを知らせたのでした。そこに現われたるは、“王子”、最後に顔色は悪いものの、ゆったりと地上を見下ろす“王”!

 元より他チームに対して警戒心の強いルードが、皆と並んで地上に立つことはないと思っていましたが、なんですか、このケレン味たっぷりのご登場は! メンバーのほとんどがバルコニーから身を出して座っているのは、事あらば、すぐさま飛び出し、飛び降りて、スモーキーを守るため、なんですよね。



 このSWORD5チームの配置を見たとき、やはりルードは他の4チームとは違うんだな、と思いました。他の4チームが地上に根づいているのに対して、ルードだけは地上に実体のない「幻の地」を守っているのだ、と。G-SWORDが崩壊するなら、それはたぶん無名街とRUDE BOYSからで、行き場のない者たちが集う避難場所さえ容認できない世知辛い世界の到来を意味するのだ、と、そんなふうに思えました。

 忘れてはいけないのは、この『HiGH&LOW』という作品は「全員主役」を謳っていますが、主役はコブラであり、山王連合会なんですね。White Rascalsも、鬼邪高校も、RUDE BOYSも、達磨一家も、コブラと山王連合会にとっての、立ち向かうべき敵であり、また九龍グループのような巨悪と闘っていく仲間でもあるのだ、ということは常に念頭に置いておかないといけないと思いました。結局、TVシリーズはノボルで始まり、ノボルで終わったのですから。





 窪田正孝出演作品をすべて見てきたわけではありませんが、スモーキーは私がこれまで見たことのない窪田さんでした。

 演じるキャラクターの雰囲気(空気感)まで創り上げてしまう窪田さんですが、スモーキーの、猛々しいところはあるけれども、身内にはやさしい、穏やかな人、なのになぜか近寄りがたく、神々しささえ覚えてしまう、この感覚はなんなのか。

 たとえば、能で神仏が登場したとき、その佇まいや装束などから“感じさせられる”人間とは違うモノのオーラが、スモーキーからごく自然に放たれているように感じるのです。

 このオーラを「スモーキーというキャラクターなら、こういう雰囲気で佇まいだろう」という計算で創り出されたのだとしたら、怖すぎると思いました。たぶん、窪田さんが「スモーキーというキャラクター」に与えた口調、目線、動作やしぐさがすべて相まって、その結果があのオーラだと考えてはいるんですけどね。

 スモーキー役以外では、窪田さんのこのような演技は見られないでしょう。役者さんが演じる役も一期一会だな、としみじみ感じ入るこの頃です。