Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

京の奥座敷「鞍馬・貴船」の旅 その1

 毎日、暑い。短い期間に恋の成就を望む蝉も、深夜、気温が下がってからようやく合唱しはじめるほどの猛暑日続き。
 とにかく涼しいところに行きたい。水のそばがいい。できれば、せせらぎの音が聞こえる、緑濃いところ。料理がおいしければ、なおよし。2、3年前に旧友と「鞍馬・貴船に行きたいねえ」と話したことを思い出し、早速にメール。土・日しか休みが取れない彼女に合わせて、旅行日を8月9・10日に設定しました。
 5月1日〜9月30日の期間限定の貴船の川床料理は今が繁忙期。そして、旅行を思いついたのは7月23日……。ダメ元で電話を入れたところ、3件目の「喜らく」で「ちょうどキャンセルが出たところで、2名さまやったら大丈夫です」と、料理と宿泊の予約が取れました。これはほんとにラッキー!


 9日は朝7:30にJR明石駅で待ち合わせ。7:34発の新快速で一路、京都へ。
 JR京都駅からは市バスで「出町柳駅前」バス停へ(220円)。所要時間は約30分。叡山電鉄の「出町柳」駅から鞍馬線の電車に乗り、「鞍馬」駅へ(410円)。「出町柳」を出発してしばらくは住宅の軒端をかすめるように走っていた電車も、「京都精華大前」あたりから緑の中へ。やがて山中に入り、渓谷の際を行けば、終点「鞍馬」はすぐです。所要時間は約30分。


 鞍馬駅に着いたのは10:15。朝が早かったので小腹が空いていたうえに、これから鞍馬寺へ登ると思うと、ふたりそろって考えることはいっしょ。「ここでなにか食べておこうか」。
 「心天狗(こてんぐ)」というこじんまりしたお店が目についたので入ってみると、「座敷がありますから、どうぞ上がっていってください」「ゆっくりしてくださいね」ととてもあたたかく迎えていただきました。
 お願いしたのは、ざるそばと木の芽煮のおにぎり。こちらのおそばは、毎朝、お店で打っているそば粉8、つなぎ2のニ八そば。コシがあって風味豊かなうえに、盛りもよくて、食べごたえがありました! こんど訪ねることがあれば、お店の名物「心天狗そば」を味わいたいです。おにぎりはにぎりたてのほかほかで大きい! 梅・かつお・木の芽煮(季節によるかも)の3種類があるおにぎりは1個150円で、テイクアウトもできます。鞍馬寺参詣のお弁当にもよさそう。「どうぞ試してみてください」としそジュースや香ばしい京番茶をいただき、すっかりまったりしてしまいました。


 「鞍馬寺の仁王門前まで来て、根を生やしてどうするよ」とようやく立ち上がったのは11:00過ぎ。仁王門で愛山費200円を払って、さあ、鞍馬寺参詣すなわち鞍馬山登山の開始です。

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鞍馬寺仁王門。
(写真は画像クリックで少し大きくなります)


 まず現われるのが「魔王の瀧」。いいかげん暑さで頭が沸いていた私は「なぜここに織田信長第六天魔王)が!?」と思ったのですが、鞍馬山「魔王」と言えば、「天狗」のことですよ。実に金堂(本堂)に至るまで「なぜ信長!?」と考え続けていたのですから、しょっぱなから鞍馬寺参詣の本道を大幅に外しておる。バカだ orz。

 魔王の瀧のすぐそば、木立に目立つ朱塗りの小さな堂は「鬼一法眼(きいちほうげん)社」。鬼一法眼は『義経記』に登場する陰陽師で、呪術・兵法および剣術の大家。源義経に兵法を授けた(というか、義経が法眼秘蔵の兵書『六韜三略(りくとうさんりゃく)』を勝手に盗み読んだらしいのだが)と伝わる人物です。
 さて、牛若丸(遮那王)時代の義経は「鞍馬の天狗」から兵法を教わったとされていますが、これが大天狗僧正坊だったという説と、鬼一法眼だったという説があるんですね。
 私的な目的のひとつは、安倍晴明をモデルにした架空の人物とも言われる鬼一法眼の社に参ることだったので、早速、かなったことになります。

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魔王の瀧の鳥居と鬼一法眼社。


 さて、仁王門から金堂(本堂)までは、『枕草子』に「近うて遠きもの」として挙げられた「九十九(つづら)折の坂」が続きます。坂を折り返すごとに、ぐんぐん標高が上がっていくのがわかります。なにせ「登山」ですから。
 やがて目の前に現われる石段を上がると、そこは毎年10月22日に行なわれる「鞍馬の火祭」で有名な「由岐(ゆき)神社」。主祭神大己貴命(おほなむちのみこと)すなわち大国主(おおくにぬし)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。出雲大社の祭神である国づくりの大神と、彼と兄弟の契りを結び、常に共にあった、知恵の神、医療・医薬の神、そして醸造の神です。相殿は八所大明神(はっしょだいみょうじん)。さすが都の鎮護社だけあって、全方位抜かりなしという感じです。

 由岐神社は、940(天慶3)年に朱雀天皇の命で宮中から遷宮。以来、都の北方鎮護の役にあると同時に、鞍馬寺の鎮守社でもあります。「火祭」は遷宮の際に、国家的一大儀式として、沿道に篝火を焚き、1キロにわたる松明行列をもって神霊を勧請したことに由来するそう。
 本殿と拝殿は1607(慶長12)年、豊臣秀頼が再建したもの。特に拝殿は、中央に通路をおいた珍しい割拝殿。希少な桃山時代の建造物でもあり、国の重要文化財に指定されています。

 御祭神が大物だからか、末社も多いんです。北山杉が織りなす美しい風景が堪能できる鞍馬ですから、御神木も杉。大杉社の大杉は「願掛け杉」と呼ばれています。そのほか、弁財天、素戔鳴命、事代主命大山祇命八幡大神、そして三宝荒神大神のお社がずらっと……。
 なにが言いたいかというと、金堂はまだはるか上だと言うのに、すでに財布の小銭がヤバいということですよ。三度行く機会があれば、五円玉と十円玉を山ほどもっていかなければ。忘れないように書いておく。

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由岐神社。社殿の背後、真ん中に立つ杉が「願掛け杉」。


 次に見えてまいりますのは、牛若丸がよく手を合わせていたと伝わる、彼の守り本尊「川上地蔵堂」。さらに彼が7歳から10年間を過ごした東光坊の跡地に立つ「義経供養塔」もこのあたり。

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義経供養塔。


 仁王門からえっちらおっちら約50分。かなりしんどくなってきたころ、「転宝輪堂」に辿り着きました。鞍馬山系を見晴らすお堂に惹かれて入ってみれば、そこには丈六(1丈6尺=約4.85メートル。1丈6尺は釈迦の身長)の阿弥陀如来座像が。その大きさに驚きました。畳に座れば、谷に向かって開かれた扉から涼やかな風が吹き込み、暑さに火照る身体を冷やしてくれます。
 ここには堂名になっている、回しながら「南無阿弥陀仏」と1回唱えると6万回唱えたのと同じだけのご利益があるという、転宝輪が収められています。回してきましたとも!
 転法輪堂の下には「洗心亭」という、軽食・喫茶ができる茶店があります。私たちは寄りませんでしたが、九十九折の坂に疲れた人にはほどよい休み処です。


 転宝輪堂から階段を上がること、ほどなく。ようやく「金堂」に到達しました。仁王門は標高250メートル、金堂は標高410メートル。約1時間かけて登ってきた標高差は160メートルです。前庭からははるか比叡の山々が見渡せます。
 鞍馬寺の本尊・鞍馬山尊天は秘仏で拝観することはかないませんが、大杉権現の霊木でつくられた尊天の「お前立ち」が安置されています。

 もとより仏教は「宇宙」を表わすキーワードの多い宗教ですが、鞍馬山の「尊天」はなかでも興味深いです。
 尊天とは「宇宙の大霊であり、大光明、大活動体」、すなわち万物を生かす宇宙生命・宇宙エネルギーを指し、そのはたらきは愛と光と力となって現われる。その「愛」を月輪の精霊「千手観世音菩薩」、「光」を太陽の精霊「毘沙門天王」、「力」を大地の霊王「護法魔王尊(サナト・ クラマ)」のお姿にて表現し、三身一体で「尊天」と称するとのこと(「くらま山パンフレット」より要約)。
 寺の縁起を辿れば、最初は毘沙門天を祀る一寺から始まり、次に観音信仰が入り、それに山岳信仰や山伏の密教が合わさった感じがします。先の由岐神社と同じく、都の北に位置する寺院もまた全方位っぽいですね。


 なかでも護法魔王尊は、650万年前に金星から地球に降り立った宇宙生命体で、16歳の姿のままあり続ける永遠の存在であるとか。金堂横の「瑞風庭」は護法魔王尊が金星より降臨したところを表わしたものだそうですよ。……ちょっと、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を読んでくる(護法魔王尊は出てきませんけどね。つくづく仏教ってSFだよなあと思わせてくれます)。

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鞍馬寺金堂。


 金堂から「奥の院 魔王殿」への山道に入ります。やがて見えてくるのが、「鞍馬山霊宝殿」(入館料200円)。1階が鞍馬の自然博物苑展示室(冬虫夏草系の展示が多いのはなぜだ!?)、2階が寺宝と与謝野晶子ゆかりの品の展示室、3階が仏像奉安室。特に3階の国宝、重文クラスの仏像は拝観する価値あり。ものすごくハンサムな毘沙門天さまがいらっしゃるんですよ!(煩悩全開ですみません)

 霊宝殿を出てすぐ、小さな庵のような建物は、与謝野晶子の書斎だった「冬柏亭」。鞍馬寺の先代管長が晶子の弟子だった縁で、東京から移築されたそうです。

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こじんまりとした冬柏亭。


 途中、鐘楼への登り口があるのですが、これからの行程と疲労度を考えて断念。山道をひたすら歩きます。「牛若丸息次ぎの水」で、その昔、牛若丸が喉の渇きを潤したがごとく、水をいただきました。とはいえ、唇を湿らせた程度ですが。酷暑のせいか、ほとんど水流がなかったんですよね。
 「屏風坂の地蔵堂」の名を見てもわかるとおり、このあたりの上り坂はきつい。ここまでの坂道を日夜往来していたら、それはもうびっくりするほど健脚になることでしょう。


 「義経公背比べ石」の前に置かれたベンチでひと休み。16歳の遮那王鞍馬山を出奔するときに背比べをした石だそうですが、かなり低い。義経のものと伝わる甲冑から、彼は身長140センチ半ばで猫背だったと推測されています。平安末期の基準でも小男で、そのためか『義経記』に書かれた容姿の表現は女性みたい……。まあ、大男なら「前やうしろや右左、ここと思えば又あちら、燕のような早業に、鬼の弁慶あやまった」(尋常小学唱歌「牛若丸」)にはならんわな。

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義経公背比べ石。


 ここから本道を外れて100メートルほど行けば、樹齢千年近い「護法魔王尊影向(ようごう)の杉」と呼ばれる大杉を御神木に祀る「大杉権現社」に着きます。参るか、そのまま本道を行くか迷ったのですが、友人の要望で参ることに。
 大杉権現社までは、木の根の間に足の置き場を探るような「木の根道」を歩きます。このあたりは岩盤が地表近くに迫っていて、木の根が地中に潜れず、地表に露出したまま伸びているんですね。
 この歩きにくさに、いっそ木の根と木の根の間をぽーんぽーんと飛んで行きたいと思ったときに、牛若丸の身の軽さの理由がわかったような気がしました。いちいち歩くより、太めの根を足がかりにはずみをつけて飛んでいったほうがよほど楽で早いと、きっと子どもの牛若丸は思って実行したに違いないよ。

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木の根道。


 行ってみれば、そこは静謐の地でした。「護法魔王尊影向の杉」こと護法魔王尊降臨の大杉は、1950(昭和25)年の台風で折れ、今は15メートルほどの根幹を残すのみ。折れた御神木から、金堂の尊天のお前立ちがつくられました。しかし、今だ威容を見せる御神木やそのまわりを囲む森の木々から、気をいっぱいに吸い込めたような気がします。

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大杉権現社の折れた御神木。


 再び本道に合流して、段状の山道を下れば、「僧正ガ谷」に入ります。「僧正ガ谷不動堂」に安置されている不動明王伝教大師最澄が刻んだものと伝えられます。また、不動堂の前の石畳には六芒星(籠目紋)が見られるとか。知っていたら、そう見えたかも(私には花に見えた orz)。
 ちなみに「僧正」とは僧位僧官のひとつ。僧官は僧正、僧都、律師の三つで、十ある僧位のうち、大僧正が最高位です。

 僧正ガ谷は、謡曲鞍馬天狗』で、牛若丸が鞍馬に棲む大天狗に出会い、兵法の奥義を授かったとされるところ。だからか、奥州・衣川で亡くなった義経の魂は鞍馬へ戻ったとされています。はてさて、護法魔王尊のお姿は、日本中の天狗のトップであり、「鞍馬の僧正坊」と呼ばれる大天狗そっくり。義経の魂は、護法魔王尊の破邪顕正の働きを助ける脇侍「遮那王尊」として、「義経堂」に祀られています。

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奥に見える小堂が義経堂。


 僧正ガ谷から、覚悟していたほどには長くない木の根道を越えて、歩くこと約10分。ようやく着きました、「奥の院 魔王殿」。名前からおどろおどろしげなところを想像していましたが、陽光明るすぎて、暑い御堂でした。暑さがすべての情趣を奪っていく……。寺紋の羽扇がいっそかわいらしくさえ見えます。


 さて、護法魔王尊は金星から降り立ったそうですが……。金星ねえ。西洋では、金星は「明けの明星」として、「光を帯びた者」を象徴します。「光を帯びた者」とは、天使の長から堕天し、悪魔の総帥となったルシファー(ルシフェル)のこと。
 ついでに、天狗は慢心した僧侶の成れの果ての妖怪とも言われました。
 また、天狗はもともと中国で流星や彗星を表わす言葉でした。つまり天空から尾を引いて流れるものの呼称だったのです。日本においては、『日本書紀』に隕石と思われる現象について、「流星にあらず、これ天狗アマキツネなり」と書かれているそうですよ。
 まあ、いろいろと符合するものがあるなあと思った次第。

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とうとう着きました! 奥の院 魔王殿。


 奥の院 魔王殿から鞍馬寺西門までは下り坂の一本道。貴船から鞍馬へ登る人たちと、すれ違うのがやっとという狭い山道です。上り坂はしんどいですが、下り坂は痛い。特に膝が。「帰ったら、ヒアルロン酸摂らなきゃ」「いや、ここはコラーゲンじゃない!?」などと情けない会話を交わしながら、ひたすら下ります。とか言いつつ、友人のほうは快調にたったか下りやがりましたが……。さすがウォーキングで鍛えた脚は違うな!

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貴船に下る山道。


 鞍馬山西門をくぐって、貴船に到着。頭のてっぺんから足の先まで汗をかき、ほとんどうわ言のように「レイコー(アイスコーヒー)ほしい」とつぶやいていた私は、即行、目に入った喫茶店「巣望瑠唐紅(すもうるとおく)」へ。
 この時点で13:30過ぎ。2時間30分かかる行程を、時間どおりに歩いてしまったようです。もうちょっとゆっくりしてもよかったかも(でも、休むにしても、どこもかしこも暑かったんだよ)。
 喫茶店のおかみさん(神戸のご出身なので、方言は私たちとほぼいっしょ)とおしゃべりするうちに「今日はどこに泊まらはるの?」と尋ねられ、「すぐそこの喜らくです」と答えると、「ああ、喜らくさん。あそこはええわ。お料理がものすごうおいしい。ええ板さんが入って、ほんまにええお料理出してはるから」とのこと。
 えっ、ちょっと待って。キャンセルがあってラッキーだったうえに、お料理も地元の方が絶賛する「大当たり」!?


 喫茶店を出たのは14:00過ぎ。宿のチェックインは15:00〜18:00と聞いていたので、荷物だけ置かせてもらって、貴船神社に参るつもりだったのですが、そのまま部屋に案内されてしまいました。仲居さんに「お風呂、ほかのお客さんが着かれる前にどうぞ」と言われ、そういうことならと、日も高いうちから汗を流しに入りました(お風呂がひとつしかないので、入ったら鍵を閉めて、貸切状態にする仕様なのね)。
 お風呂を出てから、テレビをつけっぱなしですっかり昼寝モードになっていた私たち。「お客さん、お料理の準備できましたあ!」の声で、川床(かわどこ)へ向かいました。貴船川の清流の上にしつらえられた川床は、外の熱暑がウソのように涼しい! まさに天然の清涼。「かじか蛙」の鳴く音がさらに涼味をひきたてます。

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手前が「喜らく」、すだれの奥は隣りの「貴船荘」の川床。


 私たちがお願いしたのは、鮎塩焼き2匹に鱧柳川鍋ほか8品にご飯、赤だし、季節の果物(メロン)がつく「納涼川床料理」でしたが、隣りの席では「鱧しゃぶ」を楽しまれてました。浴衣に羽織では涼しすぎるくらいの川床ならではですね。
 喫茶店のおかみさんの言葉どおりに、どのお料理もほんとにおいしい! ビール、ぬる燗、冷酒とお酒もどんどん進みます。久しぶりでした、あんなに飲んだのは。ご挨拶にいらした女将さんに、「鱧落とし」の追加までお願いしてしまいました。

 実を言えば、お料理全体のボリュームはちょっと少なかったのね。私たちふたりの旅行で、ご飯のおひつが空になるなんて、今までなかったもの。一品追加でいただいて、ちょうどいい具合でした。「おいしい」を堪能させて、「もうちょっと」で止めるところが、いかにも京都の流儀。小粋と言うか、いけずと言うか(笑)。

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やわらかくて、骨までいただける鮎の塩焼き。絶品!


 ほろ酔い気分で、酔い覚ましに夜の貴船神社へ。500円で「茅(ち)の輪」を購入。ゆっくり詣るのは明日にして、宿に戻りました。もう一度お風呂に入って、かじか蛙のきれいな声を聞きながら……おやすみなさい。

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夜の貴船神社参道。丑の刻にはもっと暗いはず……。


 京都の鴨川沿いの川床は「ゆか」と言いますが、鞍馬の川床は「かわどこ」と言います。なんでしょうね、この違い。

※ 各料金は2008年8月現在のもので、今後、変更される可能性があります。実際の料金は各位でご確認ください。


e-KYOTO「源義経の足跡を訪ねて〜鞍馬編〜」
http://www.e-kyoto.net/sanpo/rekishi/b04/kurama.htm

「和み家 心天狗(こてんぐ)」サイト

http://nagomiyakotengu.web.fc2.com/index.html

「巣望瑠唐紅(すもうるとおく)」サイト
http://kyoto.kibune.or.jp/smalltalk/

「料理旅館 貴船 喜らく」サイト
http://www.kibune-kiraku.jp/

叡山電鉄」サイト
http://www.keihannet.ne.jp/eiden/