Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

『僕たちがやりました』第6話 ターニングポイントでまさかのターンアウト!?



 『僕たちがやりました』第6話。1クール作品の折り返し地点で、『僕やり』も前半のクライマックスを迎えたように思います。



 爆破事件の真犯人が警察に出頭し、パイセンが「冤罪」で釈放され、それぞれの逃亡生活から再び集合した4人は「無罪」に歓喜します。放課後はカラオケ、スポーツゲーム、恋バナに騒ぎ、家に帰れば母が好物を並べ、妹も蓮子もやさしい。「そこそこの人生」が戻ってきたと喜ぶトビオですが、「冤罪で警察に追われ、恐怖で逃げるしかなかった未成年」には「そこそこ」以上の「幸せ」が用意されていたのでした。



 パイセンの暴露さえなければ、トビオたちは「そこそこの人生」をこれからも送れたはず。でも、集まるたび、罪から解放されて無邪気に騒ぐ3人を、秘密を抱えたパイセンが心穏やかに見られるとも、一緒に騒げるとも思えないので、遅かれ早かれ暴露はあったでしょう。

 パイセンが「俺、オシッコ我慢するのが好き。けど、たまーにやりすぎて漏れちゃう」と言った暴露は、そのあとの飯室刑事の「フタをすればするほど、その感情は溢れたがる。忘れようとすればするほど、思い出す」をまさに体現してるんですね。



 パイセンを自供寸前まで追いつめながら、真犯人の登場で「事件解決」というかたちで捜査を打ち切らざるを得なくなった飯室刑事。「これからどうするのかな」と思っていたら、4人の前に現われるという直球ぶりに驚きました。「お前がやったことはわかっている」と言わんばかりにフルネームを呼び捨てし、けれどももう警察は4人を追わないと告げる飯室刑事。「だって、お前ら、無罪じゃん」。このときの三浦翔平の表情の恐さときたら……。

 「お前らが10人もの人を殺した」と断罪され、「お前らのやったことを、俺は知っている」と脅迫され、「法の裁きを受け、償いをするチャンスは無くなった」と宣告された4人。これまで「ちょっとしたイタズラだったのに、大事(おおごと)になった。警察に捕まったら刑務所に入れられる。とにかく逃げよう」という意識しか、トビオたちに感じられないことが気になっていました。トビオのモノローグも、「10人殺した」「取り返しがつかない」と言いつつも、結局は「もう元の生活には戻れない」という自己憐憫に終始しているように思いました。

 被害者の写真を飯室刑事に見せつけられたことによって、ようやく自分たちが殺した相手が顔と肉体をもって迫り、「10人の命を奪った」ことを自覚したトビオたち。第2話からずっと積み残されてきた荷物がようやく回収されたような、妙な安堵を感じました。



 「お前たちがいつか他人を愛したとき、結婚するとき、子どもが生れたとき。その節々で思い出せ、人の命を奪ったということを」「一生苦しめ」ーー飯室刑事の言葉が呪詛のような力をもって、トビオたちの心に絡みつくのが見える気がしましたね。三浦さんの表情や言葉にこめた力もすごければ、それを受けるしかないトビオ、伊佐美、マル、パイセンのそれぞれの表情もよかった。「言霊」の存在と影響を感じました。



 私はトビオたちのような立場になったことがないのでわかりませんが、自分が事件を起こしたとき、最初はやはりパニックになって、自分が被害を与えた他人より、自分はこれからどうなるだろうと考えるばかりになるかもしれないとは想像できます。また、対面して殺したとか傷つけたとかなら実感もあるでしょうが、トビオたちの場合は遠隔操作による爆破だったうえに、窓を割る程度のイタズラのつもりだったので、「手を下した」という感覚が薄かったとも考えられます。

 だから、「お前たちがやったことはこういうことだ」と写真を突きつけられたことは、4人にとってよかったと思います。罪を自覚すること、そして第三者に罪の重さを量られ、等分の反省と償いを行なうことから、自身の心の救済がようやく可能になるのですから。

 でも、その救済が「お前ら、無罪じゃん」のひと言で不可能になる。「裁かれないことの残酷」というテーマは珍しいものではありませんが、高校生主人公が直面するには重すぎやしませんか。なるほど、「トラウマになるドラマ」とはこういうことですか。



 パイセンが真実を闇に葬ろうと音頭を取った「闇の中」と、飯室刑事が4人諸共に闇に落ちろと唱えた「闇の中」。「闇」という言葉を重ねながら、「闇(真実を隠し、裁きを逃れること)」こそ、罪人を「闇(光(救済)のない絶望)」に沈めるのだと意味をツイストさせる飯室刑事、本当に呪詛をかけているようで戦慄しました。



 罪を自覚すれば、自分は母の愛情を受ける価値も、蓮子と恋を育む資格もない。世間では終わった事件で、告白すれば苦しめるだけとわかっている真相を母や蓮子に語り、「愛さないでくれ」と言えるはずもない。トビオの「幸せが気落ち悪い」という言葉が彼の心情を表現するに絶妙で、心がザワッとしました。『僕やり』は言葉の使い方がときどき文学的で、ぎょっとさせられます(笑)。

 犯罪者であることを都合よく忘れたように、逃亡生活のあることないことをクラスメイトに自慢するマル。一方、爆破事件に関わるすべてから目を背けるように、トビオさえ無視する伊佐美

 「マルみたいにはなれない」と独白するトビオが、向こうからやってくる伊佐美を見て「お前はたぶん」と意識し、視線もくれずにすれ違う彼に「……そうするよな」と心中で語るところは切ないですね。「もう……集まること、ない気がする」というトビオの予感そのままに、溜まり場の部室にはパイセンも姿を見せません。

 4人の中でいちばん仲間とつるむことに淡白に見えたトビオが、パイセンが来るかもしれない部室にひとりでいるのが意外であり、あの逃亡生活のあとでならと納得もできました。



 ひとりひとり同じ闇の中にいるのに、顔を合わせることも、言葉を交わすこともなくなりそうな仲間たち。マルも伊佐美もトビオ以外に親しげな友だちがいて、パイセンは顔を見せません。

 孤独に闇を抱えるトビオにとって、沈みゆく夕日は「光明」に、その向こうは「解放」に見えたのでしょうか。まるで欲しいものが見つかった子どものような笑みを浮かべます(このシークエンスの表情の変化がたまりません。トビオをかわいいとも、かわいそうとも思ってしまいます。窪田さんがトビオを主人公として守ってくれているな、と感じるところです)。絶妙なタイミングでインしてきたエンディングテーマ「僕たちがやりました」が途切れ、蝉の声だけが響くなか、足取りも軽く彼は虚空に飛び出すのでした。



 蓮子と約束したとは言え、トビオが進んで市橋に会うとは思えなかったので、「ああ、なるほど。こういうかたちで!」と納得しました。さて、トビオの自殺で、仲間たちはどう動くのでしょう。

 そして、自分たちを罰するもの(警察)から逃げていたトビオたちは、今度は自分自身の罪悪感に駆り立てられて……逃げるのでしょうか。

 ますます次回が楽しみです!