Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

『僕たちがやりました』第5話(個人的に)見たいものが見たいように見られた神回!



 『僕たちがやりました』第5話、Twitterにも投稿しましたが、140字では言い尽くせない感想を思い切り書いてみました(笑)。原作未読前提。ご興味のある方はどうぞ。



 自分でも言ってるけど、トビオは根っから逃避体質なんですね。まさに貞操の危機の真っ最中に「(自分が迫ったときの)蓮子もこんな気持ちだったのかな」「めっちゃ、俺、ひどいことしたんだって、今気づいた」「謝りてえ」ってボロボロ言葉と涙がこぼれるトビオ。普通、強姦されかけの非常事態で好きな人とは言え他人のことなんて、まず思い出しもしないでしょう。

 トビオの「俺、すげえ自分勝手だった。自分のことばっかで、何も考えてなかった」という言葉が、ヤングさんへのカウンターになったのは笑いました。ヤングさんの「後ろが嫌なら前を向け」って意味深だなあ(笑)。



 そのあとも、蓮子が市橋といるのを見た瞬間、「ふたりはつき合ってる」と思いこんで文字どおり遁走し、考えたくないことすべてから逃げて今宵とのセックスに溺れ……。本当にダメな奴だなあと思うのですが、「昔からそうだ。熱くなってよかった例(ためし)がない。だからそこそこでいいんだよ」という独白を聞くと、「その気持ちはわかるわ」となっちゃうのがトビオのずるいところですね。



 今宵は遠洋漁業で留守がちな父親とのふたり暮らしで、幼いときからひとりきりでいて、孤独でたまらなかったのかもしれませんね。だから、傍にいてくれるなら、相手が体目当てでも犯罪者でもいいってことなのかな。本気になっても裏切られるだけと思い知ってきたからこその「どっちでもいいし」という口癖なら、切ないなあと思います。



 蓮子は「だめんずウォーカー」の素質ありでしょ。トビオといい、市橋といい。

 特に車椅子生活になってからの市橋には、「私が助けてあげなきゃ」という妙な保護欲というか、姉気質というかが全開してますよね。逃げ回ってるトビオが自分に連絡を寄越さないことで不安や無力感が募って、「自分にもなにかできることがあるはず」という気持ちが市橋の「介護」に向いたのかなあと想像。

 自分のことを「もう終わった人間だ」と言い、自殺的な行動に出た市橋の告白は、たぶん「私が守ってあげなきゃ」気質の蓮子のツボを射抜いたはず。市橋が株を上げたおかげで、トビオ、蓮子、市橋の三角関係が成立しちゃったなあと感じます。

 でも、そもそも、爆破事件の原因にもなった、弱い者に目をつけて、次々に肉体的にも精神的にも半殺しにしてきたのは市橋たちだからね。有原を睨みあげた眼力には確かにボスの風格があって、ヤラれましたけどね!



 加藤諒扮する「ウンコくん」といい、マルに下剤を仕込まれた伊佐美といい、小学生レベルの下ネタをはずさない『僕やり』(笑)。マルに殴りかかろうとして硬直した伊佐美のパンツが、次のシーンで変わってたの、見逃してませんよ! まったく自然にモーション続けてましたけどね!

 伊佐美には踏んだり蹴ったりでしたが、結果、彼がマルを殴ってくれて「バンザイ!」(笑)。伊佐美の「パイセンとトビオがいなかったら、お前みたいなヤツと友だちになってねえからな!」「俺もですけどー」が個人的ハイライトでした。伊佐美の口から自然にパイセンとトビオの名前が出たのがね。ふたりがいてこその友だち関係。そう言いながら、ふたりとも「自分たちは友だち」前提で話してるのがかわいいな、と。

 マルが伊佐美と合流し、トビオがパイセンと再会して、なんだか安心感が湧き上がったのは事実。第2話でもうバラバラになった4人だけど、やっぱり4人は4人でいてくれないと!





 第5話で私がいちばん注目したのは、トビオの変貌です。第4話ですでに疲れた顔を見せていたトビオですが、第5話では蓮子の「ちょっと痩せてたっぽい」という言葉どおり、服を脱いだときに「痩せたな」と感じました。それからも、まともに食事をする描写のないまま「ヤッて寝て、ヤッて寝て」で一話の中でどんどん頬がこけ、目の下の隈が濃くなっていく。

 顔の輪郭が変わっているので、メイクだけのせいではなく、窪田さんが実際に痩せられたんだろうなと思いました。トビオを演じることになって「高校生の役だから少しふくよかにならないと」と言われていたことを考えると、「食べずにヤッて寝てしてるんだから痩せないと」と思われたことは想像に難くありません。そして、その甲斐あっての第5話であり、トビオを主人公足らしめていると思うのですね。



 トビオのやってることって、その気はなかったにしても大量殺人を犯して、その裁きから逃げて、友だちの彼女とヤッて寝て、ヤッて寝て」しているわけで、クズ以外のなにものでもない。

 モノローグも自己嫌悪のグダグダしたものばかりで、車椅子の市橋を見ても、「蓮子と市橋、ヤッてんのかな」と悶々とするだけで、「自分たちがやったことのせいで市橋があんな姿に」とか「自分と同じ高校生を死なせてしまった」「人生を狂わせてしまった」とかは、いっそ清々しいほど考えつきもしない。

 やってることとセリフだけ見聞きしていると、「人非人」としか言いようがなく、擁護のしようもありません。



 でも、顔も体もどんどん衰弱していくんです。「セックスやつれ」と見れば、下ネタギャグなのですが、同時に、食事もとらずにセックスに溺れるしか、最悪の現実から目を背ける術がないトビオの追いつめられっぷりもわかってしまう。「どうしようもないクズだな」と唾棄する気持ちのなかに、「かわいそう」とかちょっと思われませんでしたか? 罠ですよ、それ(笑)。



 このドラマの主人公はトビオです。ドラマの中には、主人公を満足に描かず、周囲を固めるキャラクターの魅力から、彼らが意識している存在として主人公を際立たせるという手法もありますが、『僕やり』はそういう作品ではありません。あくまでもトビオが主人公として視聴者の耳目と興味を引きつけなければなりません。

 でもトビオはどうしようもないクズです。普通に描けば、共感も同情も得られない犯罪者で、ついでに視聴者に「見たくなかった自分の暗部(究極、自分のことだけしか考えられない自分)」を突きつけてくるイヤな人物になってしまいます。

 だったら、どうやって視聴者の興味を引けばいいか。「哀れだな」「かわいそうだな」と思われるのがひとつの手段です。真犯人がいるという希望を絶たれ、警官に追われて路地裏に転がり、残飯を漁り、頼りと思った人に強姦されかけ、他の男と親しげな恋しい人を目撃し……と追いつめられてきたトビオが、セックスしか拠りどころをなくして痩せていく。哀れですよね。



 さらに、童貞を捨てた相手である今宵は、トビオが犯罪者でも「どっちでもいいし」、「ひとりって寂しいでしょ。警察に捕まるまで一緒にいればよくない?」と言います。それって、「愛している」とはほど遠い言葉。「好き」がセックスに直結していたトビオにとっては、関心のない相手とでもセックスして、思いやりの言葉までかけてくれる今宵は衝撃的だったんじゃないかな。別に今宵の心が欲しいとは思わないけど、それを許容してくれるのならと、根本的に自分に甘いトビオは彼女を抱き続けたのだと思います。

 だからこそ、隣に今宵がいるにも関わらず、留守電に残ったお母さんのメッセージに、「こんな最低な俺でも、すっげえ心配してくれる人がいるんだ」って泣いてしまう。かわいそうですよね。



 そして、体力も精神力も尽きたところで、自首する勇気はないから、別件逮捕を狙う。変なところで知恵が回るトビオ。……はともかく、ひとりで黙々とボールを投げ続ける姿には鬼気迫るものがあって、第1話で4人でご機嫌にプレイしていた姿を思うと、やっぱりかわいそうに思いました。



 クズだけど、心底憎めない、嫌いになれない。トビオが主人公でいられるように、窪田さんも監督さんもギリギリのラインを攻めてますよね!





 あと、第5話はトビオが視聴者から見放される危険性がある回であり、放送コード的にも危険な回なんですよね。

 普通なら、童貞を捨ててセックス三昧って男性にとっては「春」状態でしょう。でも、セックスしてても愛はない今宵のおかげでトビオはさらに追いつめられていく。そこを描くためにも、ヤッてることは見せなきゃいけない。

 そこで考えつかれたのが、女性(今宵)の肌は最大限見せない。でも男性(トビオ)の裸はバンバン見せましょう戦法(笑)。窪田さんの体が、ちょっと痩せて、筋肉よりはラインが目立つ感じで、ちょうど肉感より綺麗感のほうが強くなってるんですね。また、そう見えるように、ものすごくカメラ位置と角度、照明が考えられています。

 窪田さん、前髪を上げたときの「男の色気」は殺傷力抜群なのですが、下ろされているとトッポさが残るところが男性にも嫌味を感じさせないだろうという。「ああ、人選、間違ってない!」って何度目か感心しました。

 番組開始前の番宣トレーラーで、俳優さんそれぞれにある「撮りポイント」を心得た撮影スタッフさんだなあと思っていましたが、第5話は今宵とのシーン以外にも「それ! そういう窪田さんを見たかったんです!!」という画がいっぱいで、「ありがとう! ありがとう!!」という気持ちでいっぱいになりました(真面目に)。



 それまで、すっごく「男子!」だったのが、パイセンから無罪と聞き、「伊佐美とマルを迎えに行こう」と言われた瞬間、両手で鼻と口を覆う安定の乙女ポーズに。ラストシーンに飛び跳ねんばかりのトビオは最高にかわいかったです。





 トビオと窪田さんのことしか書いていませんが、第5話はキャストの皆さんの要所要所での演技が光っていました。『僕やり』はキャラクターが特異なだけに、第3話あたりまでは役者さんたちに「演じている」感がありありでそれもまたマンガっぽくて面白かったのですが、第4話から変わりましたね。役者さんに役柄が浸透していく過程が見られて、それも見ものでした。

 キャラクターが浸透した今は、トビオ&今宵、市橋&蓮子、マル&伊佐美、警察の取調室と目まぐるしく場面が転換しても、きちんと心情を追えるのがすばらしい。

 ページをめくるようなマンガっぽさは健在ながら、枠が引かれたコマから彼らの「今」の映像を眺めているような不思議な感覚があり、そう感じさせるキャストの皆さんに「すごい!」と素直に感動しています。『僕やり』は皆さんの「代表作」になるんじゃないかな。

 そして、どこを撮れば「匂いまで感じさせる」ながら「絵になる」かを心得たスタッフ陣の仕事にも感嘆しきりの第5話でした。



(8月19日のTwitter投稿を加筆修正)