Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

『HiGH&LOW THE MOVIE 3/FINAL MISSION』スモーキーという幻想 後編



 HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』のネタばれありです。未見の方はご注意ください。




 TVドラマから劇場版までを通して、『HiGH & LOW』シリーズの表の主人公は山王連合会の総長・コブラ、裏の主人公は元ムゲンの総長・琥珀。それは異論のないところでしょう。



 コブラは『THE MOVIE 2』まで「負けなし」でした。

 ヤマトとチハルのために鬼邪高校の番長・村山とタイマンで張り合って勝利。山王連合会をつくるきっかけであった幼なじみのノボルを、敵対する立場から再び仲間として迎えることに成功。龍也の死で復讐の鬼となり、その手段としてSWORDを襲撃した琥珀を、ヤマトと九十九と共に熱い拳の応酬で救済。「SWORD協定」を断り、宿敵・DOUBTとプリズンギャングにWhite Rascals単独で立ち向かったROCKYを、間一髪のところで救援。

 「男同士は拳で語り合って理解し合う」「ケンカは相手と同様、自身も痛みを負ってこそ、本当の勝利と言える」「プライドを曲げて助けを乞うような真似をしなくても、察して助けてくれる、男の友情」という、『HiGH & LOW』の“美学”を体現してきたのがコブラでした。
 「俺たちは絶対に仲間を見捨てねえ」を有言実行して、どんどん大きくなる敵にも怯まず体当たりでぶつかり、一度は敵対した相手さえもことごとく救ってきたコブラは、常に「間に合って」きたのです。



 コブラの山王連合会の総長としてのあり方は、ムゲン初期の琥珀に似ていたと思います。「二人で走る時間が無限に続けばいい」と琥珀と龍也が作ったレーシングチームがムゲン。「ノボルが戻ってくる場所」としてコブラとヤマトが作った山王連合会。どちらも「頭はいない。誰もが平等」で、前者はバイク好きが、後者は山王街出身で山王街を愛する者たちが、同じ“好き”の思いを共有し、談笑し、自由に意見を言い合い、仲間や街にトラブルが起これば、一丸となって戦うという集団でした。

 しかし龍也の脱退をきっかけに、ムゲンがなくなることを恐れた琥珀によって集団は変質していきます。コブラもまた、SWORD地区全体を破壊しようとする九龍グループへの敵対心に捕らわれ、九龍グループを恐れる者、九龍グループが政府を焚きつけて推し進めようとする再開発に街の活性を期待して賛成する者の声に耳を傾ける余裕を失い、分裂を招きます。

 九龍グループと対抗するためにSWORDの各チームと協力関係を結ぼうとした「SWORD協定」は鬼邪高校の村山以外の賛同を得られず。日々寂れていく山王商店街は九龍グループに蹂躙され、「九龍に逆らうな」と自分たちを諌めてきたダンたちが襲撃され、山王連合会との決別を宣言する。追い詰められたコブラは、ひとりで龍也の敵(かたき)を討とうと暗躍した琥珀のように、チームを離れてひとりで克也会の会長を闇討ちするという暴挙に出ます。



 執拗で苛烈な拷問のなかでコブラが黒崎の勧誘になびかなかったのは、彼の敵対心と義侠心に鎧われた精神力が黒崎が惜しむほど強かったことに尽きるでしょう。が、もうひとつ、「家村会がスモーキーの命を狙っている」という情報を伝えなければならないという責任感もあったと思います。

 琥珀と九十九に助けられるや、すぐにスモーキーの危機をふたりに告げ、それが雨宮兄弟に伝わり、コブラはどこか安心していたと思います。RUDE BOYSがいて、雨宮兄弟がいて、琥珀と九十九がいて、自分を含むSWORDの頭たちも駆けつける。だから、今回も「間に合う」だろう、と。

 だから、“その場”に到着したとき、コブラの受けた衝撃は並々ならぬものだったと想像します。今まで「間に合ってきた」ことこそが奇跡(ファンタジー)であり、どんなに望んでも「間に合わない(救えない)」現実はあるのだと目の当たりにして……。

 「ああ、もう拳だけじゃ解決できねえ……」

 スモーキーの死は、コブラが体現してきた『HiGH & LOW』の「本気で救う気になれば、誰でも救える」というファンタジーを破壊しました。



 それは、九龍グループに、女を守るための砦だったクラブ「HEAVEN」を買収され、部下もろとも壊滅させられたROCKYにも、仲間たちを半殺しにされ、鬼邪高校の看板(校旗)を燃やされた村山にも、常に祭のような狂騒を醸していた賭場と手下たちを破壊され、「達磨不立」と揶揄された日向にも、さらなる打撃を与えました。

 山王商店街、クラブ「HEAVEN」、鬼邪高校、廃寺という、普通の人たちが普通の暮らしを営んでいる地域に拠点を構える4人にとって、名前と共に普通の生活を捨てた人々が集まる無名街は不明の地であり、治外法権という性質も合わさって「入っちゃならねえ」場所でした。そこに踏み込めば、いつの間にか狩られる。RUDE BOYSの「無慈悲なる街の亡霊」という異名は、何人いるのか、それぞれどんなケンカが得意なのか、正体がわからない恐怖を含んでいます。

 無名街という魔境の亡霊。自分たちとは一線を画した異質な強者と認識していたチームのリーダーが、九龍グループに殺された。それは、5人の頭とチームが拮抗していたG-SWORDの終焉を意味しました。

 スモーキーの命が失われたであろうときに、SWORD地区の街の灯が消えていったのは、実に象徴的だったと思います。



 しかし、同時に、RUDE BOYSのメンバーが誰ひとり損なわれず(頭たちはエリのことは知らない)、スモーキーだけが横たわっている事実に、彼らは何があったのかも察知したはずです。爆破され、破壊され、住人たちが追い立てられ、RUDE BOYSの掃討が行われた絶望的な状況にあって、スモーキーは膝を屈することなく、九龍グループと対峙して“家族”を守り抜いたのだ、と。

 自分たちの本拠地と仲間や部下をほぼ潰滅させられ、九龍グループの「大人のケンカ」を見せつけられて、「立ち上がるにも限度がある」と絶望していた4人の頭たち。しかし、その巨大な敵にひとりで立ち向かって、守るべきものを守り抜いた“仲間”がいる。自分はまだ生きているのに、一度は“守る”と決めたものを放り出していいのか。惨めに震えていていいのか。でも「もう拳だけじゃ解決できねえ……」。



 そこで出てくるのが、裏の主人公・琥珀。『THE MOVIE 3』は世代交代もひとつのテーマのようですが、この局面で“大人”に導かれることが、成長には必要ということでしょうか。

 琥珀が提案したのは、カジノ建設計画の裏にある、政府が九龍グループの力を借りて隠蔽しようとした、有害物資による環境汚染事件の暴露。それには3つの証拠がいる。薬品の臨床実験の結果を記した書類、事実を知る元研究員、有害物質に汚染された被害者。その3つすべてが無名街にある!

 役割を振られたRUDE BOYSとコブラたちに対して、日向は琥珀に「俺らはどうすりゃいい」と尋ねます。あの天上天下唯我独尊の日向が、うっかり作戦の邪魔をしてしまわないように気を遣ったのにびっくり。琥珀に「邪魔する奴は蹴散らせ!」と返されたら、九龍グループの足止め突破にアレを思いつくのがやっぱ頭脳派ですわ(後になって証拠持ち込みの段取りを政府や九龍グループに難癖つけられないよう、セレモニー会場至近での暴力沙汰を回避)。

 やることは決まった! コブラは未来の街のために。ROCKYは汚れた色に染まることなく女を守るために。村山は仲間や後輩たちの将来のために。日向は「最後の祭」のために。そして、RUDE BOYSは「家族の弔い」のために。

 奇しくも黒崎が口にした「再生には破壊がつきものってことか」が、九龍グループではなく、G-SWORDで実現されたのでした。





 ここで、ひとつの構図が見えてきます。

 SWORD地区にカジノを建設し、利権を独占しようと企む九龍グループ。そのために邪魔なG-SWORDの駆逐を命じたのは、総裁の九世龍心でした。彼は政治と癒着し、暴力で支配する、旧態な闇の力の象徴であり、その力はコブラをはじめG-SWORDの頭たちを無力感(あきらめ)に突き落とします。絶望が席巻するなかで、「(“家族”を)守る」ために最後まで文字どおり“立っていた”のがスモーキーでした。

 九世が黒崎に言った、「いつから俺たちは守るより奪うようになったのか」というセリフ。彼はおそらく戦後の混乱やバブル経済を知る世代。彼の始まりは、動乱する社会情勢のなかで家族を、女を、仲間を、街を、そして矜持を守ることだったのかもしれません。そして、守るべきものを失って、琥珀のように復讐のために闇の力に近づいたのか。あるいは、コブラのように守るべきものを守るために先に奪うことを決意し、それが常態化したのか。

 彼が変質させた「守ること」を、最後まで純粋に貫いたのがスモーキー。その姿に「街を」「女を」「仲間を」「矜持を」守りたいG-SWORDの頭たちは再起しましたし、振り返れば、九世もそうありたかった。九世の思いを受けた黒崎は、闇の力を求めることをせず、街を守り抜いたコブラに「負けた」と言うほかなかったのだと思います。

 「奪う」九龍グループの象徴が九世なら、「守る」G-SWORDの象徴はスモーキーで、そういう意味で対等かつ対照的な関係だったんだなあ、と。また、その死で、九世は息子・劉龍人、スモーキーはタケシという後継者を残したことも同じです。

 ちなみに、劉は自分が九龍グループにおいて台頭するために、DOUBTを利用してスモーキーに重傷を負わせ、また雨宮尊龍を殺した上園会会長をその不手際の制裁に瞬殺した人物。『HiGH & LOW』に今後があるとしたら、劉とタケシの邂逅が気になります。

 閑話休題。九世とスモーキーが象徴なら、実体は九龍グループが黒崎であり、G-SWORDがコブラであり、『THE MOVIE 3』の感情線においてはこのふたりが主人公でした。



 『HiGH & LOW』シリーズを通して、その成長が描かれてきたのはコブラですが、村山と日向も随分変わったなと思います。ふたりとも、G-SWORDの終焉を受け留め、ケンカ三昧の日々(祭)の終わりを予感しています。だから、村山はバイクに乗りたい(=ひとりになる)と思い、日向は加藤の「次の祭は?」の問いに答えませんでした。

 日向が「最後の祭」に打ち上げた真昼の花火。最後、空の一番高いところで緑の花火が花開き、その背後にオレンジの花火が広がったのは、スモーキーへの弔いと、刹那的に生きていた彼にケンカ(痛み)の先にあるものを教えたコブラへの餞(はなむけ)だったのかな、と。
 『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』、3年に渡るシリーズの終わりにふさわしい、余韻のある作品でした。





 以下は、わりと毒です。「なんでもバッチコーイ!」な方だけ、どうぞ。



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 読みますか? 読んじゃいますか!? 本当にOKですか?





 私は作品の中でメインあるいはサブメインのキャラクターが死ぬことに否定的ではありません。それが物語として必要なら、それが推しキャラなら悲しいけれども、仕方がないと思っています。

 ただし、それなりに長くつき合ってきたキャラクターについては、その死にきちんと説得力をもたせてほしいですし、それがその作品とそのキャラクターを愛してきたファンに対する礼儀だと考えています。

 『HiGH & LOW』シリーズは、LDHのプロモーションが第一義の作品。だからでしょう。特に『THE MOVIE』3部作は、ここに長尺使うなら、もっとこっちを説明してよとか、そのシーンを入れるなら、時系列を整理してよとか、物語を考えるうえでは「?」なことが多かったです。勢いで観ている分には気分はアガるし手に汗握るし感動するのですが、まず時系列と時間経過で物語を理解しようとすると、「どうしちまったんだよ、琥珀さん!」という気分に。端的に言うと、ストーリー構成が雑なのです。



 『THE MOVIE 3』でのスモーキーの死は、九龍グループという高い壁を突破するための起爆剤として、また九龍グループあっての再開発を選ぶか、寂れた商店街を守り続けるかという、現実味がありすぎる問題を抱える山王連合会をはじめ、大なり小なり閉塞感のあるG-SWORDに落としどころを与えるきっかけとして、納得できるものではありました。

 納得できないのは、彼の病気の原因です。TVドラマで彼が血を吐くのを見たとき、肺結核かと思いました。無名街の劣悪な環境なら罹っても不思議ではない病気ですし、彼がひとりで高いところにいることが多いのも、“家族”に移ることを気にしているのかな、と。

 ところが、『THE MOVIE 2』の映画パンフレットで「生い立ちに関わるある理由」からの病気と知り、ほとんど冗談で、幼少時に何かの研究で人体実験でもされたのが、時限爆弾式に影響が出てきたってことか、と考えました。生い立ちに関わる病気の原因ってそれくらいしか思いつかなかったからです。



 だから、『THE MOVIE 3』では興味津々だったのですよ、スモーキーの「生い立ちに関わるある理由」。

 結果は、昔あった薬品工場で作られた薬が、ある難病を治すけど、副作用で半年から1年で摂取者を殺してしまう有害物質で、慌てて工場を閉めたけど、その成分を含んだ排水が土壌を汚染した。その後、薬品工場を含んだ土地に無名街ができ、RUDE BOYSたちが生活と再建資金にするため地下鉱山から掘り出していた鉱物に、有害物質が結晶したものがあった。それを何らかの形で体内に摂取したスモーキーが発病って、そんなわけあるかーい!

 まず、地下鉱山から採掘した鉱物が問題というなら、スモーキーとエリだけでなく、タケシやピー、ララをはじめRUDE BOYSのメンバー、無名街の住人ももっと顕著に発病していないとおかしいでしょう。エリのように身につけていた鉱物が偶然ソレだったということはあるかもしれませんが、無名街の資金源である鉱物をスモーキーが持ち出したり、身につけたりするなどありえません。子どもたちにもらったとしても、そっと採掘場に戻すはずです。

 では、彼は地下鉱山に入り浸って、誰よりも採掘に精を出していたのか。あり得るかもしれませんが、無名街の守護者としてのRUDE BOYSは、採掘より哨戒のほうが重要だったと思うのですよ。だから、スモーキーもよく高いところにひとりでいたのだろうし。はっきり言って、スモーキーだけが地下に存在する有害物質の結晶を摂取する理由がないのです。



 「生い立ちに理由がある」と「薬品由来の有害物質」を両立させるには、

スモーキー 0歳

 生まれつき難病で、薬品工場の研究者だった両親が藁をも掴む思いで新薬を投与。
 しかし、新薬を投与された患者が亡くなったことで、スモーキーへの投与中止。
 赤子だったからか薬がよく効き、難病は治癒。少量だったからか、副作用も出ず。

スモーキー 1歳

 政府により工場閉鎖。水場が埋め立てられ、もともとの工場地帯が拡張。

スモーキー 3歳

 不況による倒産で閉鎖される工場が続出。近くにあった浮浪者の溜まり場が、不況のあおりもあって工場地帯に進出。無名街が形成される。

 薬品工場の元研究者が土壌汚染の可能性に気づき、政府に調べるよう訴えようとする。政府の依頼で九龍グループが動き、元研究者たちを暗殺。スモーキーの両親も狙われ、スモーキーを無名街に逃し、その後、殺される。

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  有害成分が結晶化、鉱物化

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スモーキー 2☓年(死より半年〜1年前)

 スモーキーが何らかの病気に罹ったことで、体内にあった薬品成分の副作用が発現。



 というくらいの事情がないと納得できませんが、コレだっておかしいですからね。スモーキー、生まれてすぐに捨てられてないし。無名街ができるの、速すぎるし。

 スモーキーの病気は、『THE MOVIE』で彼とRUDE BOYSが湾岸地区の戦いに敗北を喫した原因であり、『THE MOVIE 3』で彼が亡くなった間接的要因なんですよ。その理由と経緯がきちんと説明されていないから、「結局、スモーキーの存在はなんだったの?」という気持ちになってしまうんです。

 物語の都合でキャラクター設定のほうがウロウロした感のある(普通は逆)スモーキーの死を、問答無用に感動できるものにしてくれたのは、すべて窪田さんの功績だと思います。彼は、私たちがスモーキーというキャラクターに「そうあってほしい」と願ったとおりのスモーキーを見せてくれ、その最期まで魅せてくれました。ここまで演者の力に頼り切っていいのかと驚くほどに。

 窪田さんのお芝居の重み、それが醸し出すリアル感があったから、私も『THE MOVIE 3』という作品を自分のなかに着地させることができました。





 『THE MOVIE 3』で気になるところ、他にもいろいろあるのですが、あとひとつだけ挙げて、この毒吐きは終わりにしましょう。

 ヤマトが琥珀に言ったセリフです。いくらなんでも「勉強させてもらいます」はないでしょうよ。琥珀は『THE MOVIE』で危うくG-SWORDを全滅させるところまで間違えたのですから。

 コブラとヤマトと九十九の拳と涙の説得に救われて、“正しい道”を模索中の彼に言うべき言葉は、「コブラを助けてくれて、ありがとうございます」でしょう。自分を救ってくれた相手を、危機一髪で助けることができた。それでもまだ暗い瞳をしている琥珀に真正面から礼を言って、貸し借りがイーヴンになったことを告げるのが、あの姿の琥珀を知っているヤマトの役目でしょうに……。

 言うべきところに、言うべきセリフがハマっていない印象が、特に『THE MOVIE 3』にはありました。



 と、まあ、愚痴りましたが、これだけの文字数の文章を書かせるくらいのパワーが、『THE MOVIE 3』にはあったということで……。できれば、スモーキーとRUDE BOYSが活躍するスピンオフが見たいですが、無理でしょうか。




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