Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

【ネタバレ注意】『NO.6』が描く「知ること」の本質

 ちょっと思うところあって、『NO.6』あさのあつこ講談社)について考えてみました。あくまでも個人的な感想で、仕事で書いたテキストには影響していません。

 『NO.6』はBL(ボーイズラブ)作品と見る方がけっこういらっしゃるのですが、私には原作もアニメもBLには思えないんですね。そのあたりをメモ的に書いてみます。


 『NO.6』の主人公は紫苑(しおん)。12歳の誕生日、彼は治安局に追われて傷ついたネズミという同い年の子どもを助けます。
 部屋に侵入してきたネズミが、自分よりもチビで、腕も首も細くて華奢で、髪が肩まで伸びていたために、紫苑は男女の見極めができませんでした。見極めるより前に、これまで見たことのない、美しい灰色の瞳に惹きこまれてしまいます。なにより先に好意と庇護欲を感じてしまったわけです。


 クロノスという「選ばれた者」が住むエリアで純粋培養されてきた紫苑は、けれども理想の「聖都市」と呼ばれるNO.6および管理された環境と生活に満足している市民を好きではありませんでした。だから、誕生日のその日、聖都市を暴力的にかき乱す台風の接近にワクワクしていたのです。
 暴風雨のまっただ中に現われた「凶悪犯罪者」であるネズミは、紫苑にとって、今までの生活や常識のすべてに疑問を投げかけ覆す存在、自分の中に眠る思春期の破壊衝動の実体化、すなわち肉体をもった「ワクワク」だったのではないでしょうか。
 そうでなくても好奇心旺盛な紫苑が、得体が知れないうえに、自分が知らなかったことを次々扉を開くように聞かせてくれるネズミに惹かれないわけがありません。彼がネズミを心に住まわせてしまったのは必定。「ネズミのことを知らなければ。もっと知らなければ」という欲求は、紫苑自身のアイデンティティに由来するものであって、そこに肉欲は存在しない。だから、BLではないと思うんですよ。


 「知らないことを知ること」こそ、紫苑の本能的欲求であり、アイデンティティ。NO.6にいたときは、「知りたい」「教えて」と言えば、簡単に解答が得られました。人づきあいの苦手な紫苑の関心は他人になく、答えのある学術的知識のみに向けられていたからです。彼が初めて興味を覚えた人間がネズミで、しかしネズミは「知りたい」と言えば教えてくれるような人ではなかったんですね。
 「他人に興味を持つな」「あんたは数字に置き換えられる情報が欲しいだけだ」と言うネズミは、紫苑の「知りたい」欲求の前に壁のように立ちはだかり、「教えてもらえない以上、自分で見聞して知るしかない」と悟らせます。学習のみならず感情表現も管理されてきた紫苑は、ネズミをきっかけに「自分で見聞きすること」「自分で感じること」「自分で考えること」「自分で判断すること」「自分の考えや思いを他人に理解してもらうこと」「そのためには自分の言葉で表現すること」という、人間を人間たらしめる根源にようやく踏み込むことができました。


 紫苑にとってネズミは「彼のすべてを知ったときに、自分のアイデンティティが確立する」くらいの、未知かつ魅力的な存在。とにかく言葉を投げかけ、思いを伝え、彼の歩みについていくことで、自分と彼を隔てる壁を削っていこうとします。自分が起こしたアクションに、ネズミが返すリアクションを受け止めることで、紫苑は少しずつ壁を削りとり、その先に見え隠れするものを記憶の中に積み重ねていきます。
 それだけ「知りたい」相手となると「恋をしている」と言えるのでしょうが、紫苑の場合は「相手のすべてを知りたい」というのが究極なので、やっぱりBLではないなあと思うのです。
 もっと深い、言ってしまえば、自分が自分であるために存在する半身。だからネズミを傷つけられると、ブラック紫苑様降臨です。自我を確立するために必要な人が奪われたら、アイデンティティ・クライシス(自己喪失の危機)ですよ。焦燥から憤怒も噴き出してくるってものです。


 紫苑の「ネズミのことを知りたい」という欲求のとどのつまり、それはネズミを自分の中に取り込むことではないか。行き着く先は依存か支配かになるのではないか。それがわかっていたから、ネズミは自分の本当の名前を教えなかったのではないか。
 ネズミが口に出さないかぎり、紫苑が知ることができない最後の砦。「教えない名前」には、古今東西の神話・伝説にある「真名を知られたら、支配される」というモチーフを感じます。
 ネズミが小ネズミたちに名前をつけなかったのも、おそらく彼らを自然で自由な、ありのままのネズミでいさせたかったから。人間が名前をつけた瞬間、小ネズミたちは名前という個性に束縛されてしまいます。小ネズミたちをネズミという生き物として尊重するネズミと、人間のように名前をつけて庇護下に置こうとする紫苑。こんなところにも、二人の「愛」の違いが表れているように思います。


 さて、紫苑とネズミの関係と対を成すのが、NO.6の市長と白衣の男。
 NO.6で類まれなる頭脳を認められ、英才教育を受けた紫苑は、イヌカシやネズミさえも味方にしてしまう人好きのする性格とカリスマ性で、集団のトップを司る器量充分。ネズミもまた、何度も死線をくぐり、過酷な環境を生き抜いてきた強かさと抜群の戦闘能力に加えて、的確な状況判断力と作戦立案の能力に長け、ロボネズミをつくったり、爆弾を扱えたり、理工学も得意というマルチに有能な人物。この二人が協力したら、たぶん混乱した都市のひとつくらいたやすく支配できるでしょう。第二の市長と白衣の男になる可能性もあったと思います。
 でも、ネズミは紫苑から距離を置くことで、そうなったかもしれない未来を断ち切りました。おそらく自分たちが市長たちのようになったら、紫苑に破滅を招きかねないから……。白衣の男に引きずられるまま「聖都市」を創り上げ、理想を見失って自分自身さえ変質させてしまった市長。白衣の男を失ったとき、死以外の道を見いだせなかった市長のような破滅を。
 まあ、原作では紫苑が不穏なことを言ってるので、ネズミが戻ってきたら、どうなるかわかりませんけど。


 エリウリアスの存在を知り、そのために森の民を虐殺し、大いなる力を手に入れようとしたNO.6。その結果、災厄に見舞われた聖都市は、「開けてはならない」と言われた扉を、箱を、好奇心に負けて開いてしまう青ひげの花嫁であり、パンドラであり。しかし、好奇心や知ろうとする意志を無くしてしまったら、NO.6の住人たちのようにいつしか人間性を失い、支配され、管理され、理不尽に生命を奪われてしまう。
 『NO.6』は、私には「知る」という行為の本質、楽しさと恐ろしさが書かれた「教本」に感じられ、そういう意味で十分にジュヴナイルであると思われるのです。

NO.6〔ナンバーシックス〕#1 (YA! ENTERTAINMENT)

NO.6〔ナンバーシックス〕#1 (YA! ENTERTAINMENT)

NO.6♯1 (講談社文庫)

NO.6♯1 (講談社文庫)

NO.6〔ナンバーシックス〕(1) (KCx)

NO.6〔ナンバーシックス〕(1) (KCx)

NO.6 VOL.1 【完全生産限定版】 [DVD]

NO.6 VOL.1 【完全生産限定版】 [DVD]

NO.6オフィシャルログブック (Gakken Mook)

NO.6オフィシャルログブック (Gakken Mook)