Diary For Paranoid @ hatena

思いつくまま書くブログ。最近は窪田正孝出演作品感想に特化してます(笑)。

実録! 恐怖の修羅場脳

 「修羅場脳」とはなんぞや!? それは、2、3時間睡眠が1週間ほども続いたときに起こる現象です(個人差あり)。主な症状としましては、論理的な思考ができなくなる。これにつきます。

 たとえば、知り合いから大きな栗を20個あまりいただいたとしましょう。でも、今、栗の皮を剥いて、なにかしら料理をつくるなどという時間はありません。
 ここからが修羅場脳のわけのわからなさの始まりです。
 仕事をしている間にも、栗のことが気にかかります。厳密に言えば、「自宅の栗の木」からのいただきものの場合、100%の確率でいる栗の中の虫(クリシギゾウムシやクリミガの幼虫)が気にかかるのです。仕事の文章を書きながらも、栗の実をムシムシと食いまくっているヤツらの姿が脳内にリピートされまくりです。
 ちょうどその日は「栗名月」。「よし、栗の甘露煮をつくろう」と思い立ちます。この時点で、時間がないことより、虫に栗の実を食べられてしまうことのほうが重大事になっています。


 座卓に広げたチラシの上に20個あまりの栗をザラザラザラーッと出し、おもむろに皮を剥きだします。ところが、鬼皮は硬くて剥きにくいし、渋皮は指先と爪の間に突き刺さるしで、一向にはかどりません。1個剥いた時点でギブアップ。目の前の箱(PC)で、「栗の皮の剥き方」を調べます。
 なにかいろいろ書いてありますが、とりあえず熱湯で茹でたらいいのね、と12個を鍋に放り込みます。あとの10個あまりは、ビニール袋に入れて冷凍庫へ。だって、「栗の保存には冷凍庫がいい」って書いてあったから(このとき、「全部を冷凍庫に入れておいて、時間があるときに剥けばいい」という思考に至らないところが修羅場脳。「栗の皮を剥かなくてはならない」→「でも20個は無理。すでに1個目で指が痛い」→「じゃあ、半分だけにして、あとはしまっておこう」と、脳内フロチャートはこんな感じ)。

 茹でてボウルに移し、座卓の前に座って、ひたすら皮を剥きます。栗自体が熱いので指先がじんじんするし、鬼皮・渋皮が爪と指の肉の間に刺さってメッチャ痛い。拷問のひとつに、爪の間に針を刺すというのがありますが、その効果を身をもって味わいました。ついでに、ほとんどが虫つきで死骸をほじくり出すハメになったのですが(茹でた時点で死んでます)、なかでも何匹かの巣になっていたらしい、気持ち悪くニョロニョロした空洞が空いた栗があって、さすがにその1個はポイしました。
 皮を剥いただけで疲れ果ててしまったので、ボウルに10%塩水をつくり、そのなかに漬け込んで冷蔵庫へ。
 指先が鬼皮で傷ついたのと、爪と肉の間に刺さったまま取れない渋皮のおかげで、キーボードを叩くたびにビキビキ痛みが走ったのは、時間に加えてたいへんな代償であったとつけ加えておきます。

 この間、約1日。

 事務所のPCが壊れて以来、私の修羅場はもっぱら自宅で展開しています。故に、冷蔵庫を開けるたびに、大幅に場所を取っているボウルが気になります。皮を剥いちゃったんだから、あとはごはんと混ぜたらいいだけ、と思われます(あれ、「甘露煮」の予定はどこへ?)。
 そこで、問題。栗ごはんをつくるには、アク抜きに焼きミョウバンあるいは重曹が必要とされています。しかし、私の家にそんなものはありません。とにかく料理をつくらないので、なにかのおりに買ったオリーブ油が5年経った今も半分くらい残ったままあるという体たらくです。ミョウバンとか重曹とか買ったあかつきには、今後十年くらいあり続けるでしょう。そんなムダはムダムダです。
 前日に一度、ボウルの塩水を替えたとき、塩水にちょっと色がついているかなという程度でした。もう一夜越えた本日は、見たところ透明なままです。「よっしゃ、これでいこう」。修羅場脳は非常にアバウトです。
 さらに、ネットで「栗ごはんの炊き方」を調べると、みりんとか書いてあるんですね。でも、うち、みりんありません。そんなとき、修羅場脳は「味がつけばいいんだよね」と短絡します。


 栗といっしょにいただいた新米を2合、洗います。米を水に浸して30分後、4分割した剥き栗を投入。塩、目分量。キッ○ーマンの本つゆの、底のほうに残っていた分(30ccほど)。日本酒、目分量(大さじ1杯くらい)。を、この順で投下。それをいつものように炊飯ジャーで炊き上げました。
 こうしてでき上がったのが、10月13日の日記の写真のモノ。ご飯自体の色が悪いのは、本つゆで炊きこんじゃったせい。生まれて初めて、ひとりでつくった栗ごはんです。
 塩・みりん・酒でつくる塩系の栗ごはんは私には味が薄めなので、本つゆ炊き込み栗ごはんはむしろ私好みにできた感じです。本つゆ、もう少し多めでもいいかも。
 芋・栗・南瓜といったパサパサモノが苦手、あるいは塩系より醤油系の炊き込みごはんがお好きな方は、一度試してみられてはいかがでしょう。


 そんなわけで、最初の「栗の甘露煮」から大幅に方向が変わったうえに、ザッパー(大雑把)すぎる「栗ごはん」ですが、修羅場脳がつくったわりにはちゃんと食べられるものができたので、「終わりよければ、すべてよし」。
 ……あと10個ほどある栗は、修羅場に入る前に、皮、剥いちゃったほうがいいんだろうねえ(また、虫的な妄想に取りつかれる前に)。つくづく「甘栗むいちゃいました」の偉大さを感じた出来事でした。


 ところで、いただいた新米についても、コクゾウムシがつくさまを想像してゾクゾクしたのですが、事務所のスタッフに「鷹の爪を入れたらいいよ」と言われ、修羅場中にも関わらずスーパーへ即行買いに走りました。ことほどさように、虫がダメなんです。